名古屋をとりまく歴史街道

  • 2011年12月7日

    美濃路 墨俣宿

    墨俣は、揖斐川と長良川に挟まれており、古くは鎌倉街道の宿場があった。 源氏軍と平氏軍が長良川を挟んで戦った墨俣川の戦いや永禄4年(1561)、織田信長による美濃侵攻にあたって 木下藤吉郎が一夜城を築いたという逸話で知られている...

  • 2011年12月7日

    美濃路 起宿

    起村は小村であったので、富田・東五城・西五城・小信中島の村々を加宿とし、 この起 五か村で伝馬役・人足役の宿役を負担した。 親村である起宿の天保12年(1841)の家数は230軒・1033人で、本陣・脇本陣各1軒のほか、 問...

  • 2011年12月7日

    美濃路 萩原宿

    萩原宿は本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠屋17軒、家数236軒、人口1002人で、美濃路の中では最も規模の小さい宿場。 東から下町、中町、上町となっており、宿の中央で曲尺手となっていた。正面に高札場があり傍らに正瑞寺が建つ。 上町と...

  • 2011年12月7日

    美濃路 稲葉宿

    平安時代に京と東国を結ぶ重要な街道として、美濃の国府垂井町から尾張国府稲沢を経て 旧東海道に結ばれた街道が、現在の美濃路の源流といわれている。 因幡宿は稲葉・小沢両村で宿駅業務を行う合宿だった。 町並みは8町21間あり本陣1...

  • 2011年12月7日

    美濃路 清洲宿

    慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いに勝利した徳川家康は、四男の松平忠吉を尾張藩の当主として清須に派遣し尾張の藩都とした。 松平忠吉は若くして世を去り、家康は九男の甲府藩主 徳川義直を尾張藩主として任命し清須に送った。 清須は五条川...

  • 2011年12月7日

    美濃路 名古屋宿

    熱田から名古屋城にいたる本町通は名古屋を代表する基幹街道主だった商家が競って店を構えた。そのなかでも碁盤割の中を走る本町通は 名古屋城下の中心街として栄えた。 碁盤割とは、徳川家康によって東西は久屋通から堀川、南北は広小路から...

  • 2011年12月7日

    美濃路・東海道追分から南寺町

    美濃路の起点は名古屋市熱田区伝馬1丁目、東海道と分岐する追分に始まる。 東海道はここで南東方向に直角に折れ、七里の渡し場(神戸方面)に向かい、美濃路は北西方向に曲がり熱田神宮に至り名古屋城下へと続く。 この追分の正面には、戦後...

  • 2011年12月7日

    中山道 河渡宿

    西河渡で岐阜市に入る。長良川から分流する川を越え河渡宿に入る。 河渡宿は江戸から百六里二十七町、五十五番目、宿人272人、家数64軒、 本陣1軒、旅籠24軒、の小さな宿場。 宿の中ほど左手に、一里塚跡碑と松下神社がある。...

  • 2011年12月7日

    中山道 伏見宿

    太田の渡しで木曽川を渡り、可児市内の今渡、中恵土を過ぎ、上恵土まで来て 御嵩町に入る。上恵土の交差点の北西角に中山道と犬山街道追分碑が建てられて いる。追分から100m程いった左手に槍ヶ岳の登山道を開いたことで知られる播隆上人 の...

  • 2011年12月7日

    中山道 御嶽宿

    鬼の首塚の先で中山道は国道21号線と分岐、右に曲がり御嵩宿へと入る。 名鉄御嵩口の駅舎を左に曲がり600m程進みまた右に曲がと、左手に願興寺が見える。 可児大寺とか蟹薬師と呼ばれている願興寺は、弘仁六年(815)、天台宗開祖の ...