アーカイブス

  • 2012年2月21日

    明治時代の名古屋「市政発足時の名古屋市役所」

    明治2年(1869)に尾張藩が名古屋藩と改称され、その後、同4年の廃藩置県により名古屋県、翌年には愛知県と改まった。 明治11年12月、郡区町村編制法の実施により名古屋区という行政区が生まれ、名古屋区役所が開設され初代名古屋区長...

  • 2012年2月14日

    昭和初期の名古屋「南外堀通」

    本町通と外堀通の交差するあたりは、江戸時代の名古屋城下碁盤割の北端に位置し、評定所などの役所があった。 外堀通の1本南、京町筋には伊藤呉服店や伊藤銀行が並んでいた。

  • 2012年2月10日

    昭和初期の名古屋「移転後の愛知県庁」

    廃藩置県が明治四年(1871)発布された。愛知県は額田県を合併し現在の県域となり庁舎は旧三の丸の竹腰邸の跡に置かれた。 庁舎は、その後、東別院、久屋町と移り、南武平町に移転された。再び新栄町、現在の中区役所の広小路をはさんだ東側に...

  • 2012年2月10日

    昭和初期の名古屋「納屋橋」

    名古屋城築城とともに福島正則によって開削された堀川には、納屋橋をはじめ五条橋、中橋、伝馬橋、 日置橋、古渡橋、尾頭橋(新橋)の七つの橋が架けられ「堀川七橋」と呼ばれた。 明治19年(1886)笹島に名古屋停車場が竣工、明治31年(...

  • 2012年2月7日

    江戸時代の名古屋城下「医学館薬品会」

    尾張名所図会 医学館薬品倉。尾張藩の侍医を勤める浅井家は、医学館という医学塾をつくり医師の試験も行っていた。医学館では毎年六月十日に万国の物産や動物を公開し、多くの見物人が集まった。

  • 2012年2月2日

    江戸時代の名古屋城下「尾張津島天王祭 朝祭(本祭)」

    一夜明けての朝祭には、宵祭りとは飾り付けをガラリと変えた5艘の船に、朝祭りの主役である旧市江村の市江車を加えた6艘の車楽船(だんじりぶね)が 登場します。 車楽船の屋台上には能の演目を表現した人形が飾られます。宵祭に参加した5艘中...

  • 2012年2月2日

    江戸時代の名古屋城下「尾張津島天王祭 試楽(宵祭)」

    旧津島5ヶ村の今市場(いまいちば)、筏場(いかだば)、下構(しもがまえ)、堤下(とうげ)、米之座(こめのざ)から5艘のまきわら船が 出され 天王川に浮かびます。 まきわら船に飾り付けられる半円・山型の提灯の数は365個あり、提灯の...

  • 2012年2月2日

    尾張名所図会「甚目寺観音詣(あま市)」

    甚目寺観音のある辺りは、六世紀末の頃は海に面していた。西暦597年、伊勢国甚目村の漁師龍麿という者が尾張国の入り江で投網をしていたとき、金色の聖観音像を引き上げ、 入り江のかたわらに草堂を建て観音像を安置し、自らの姓氏をとり甚目寺...

  • 2012年2月2日

    江戸時代の名古屋城下「清須総図」

    尾張の守護職にあった斯波氏は鎌倉街道近くの下津で職にあたった。斯波義重は、応永12年(1405)清須の地に下津城の出城として清須(洲)城を築城した。 後年、下津城が焼失し守護所は、清須に移転され尾張の中心地となった1478年のこと...

  • 2011年12月23日

    昭和初期の名古屋「名古屋城と本丸御殿」

    昭和5年(1930)宮内庁の所有であった名古屋離宮が名古屋市に移譲された。名古屋城は国宝に指定され本丸御殿とともに 一般公開することが決定された。名古屋城と本丸御殿は太平洋戦争末期の昭和20年(1945)5月空襲を受け焼失。 ...