沢井鈴一の「名古屋の町探索紀行」第2講 前津七不思議めぐり 第7回「願かけ七本松─七本松神社」

願かけ七本松─七本松神社

七本松神社。まわりに松の木は見あたらない

七本松神社。まわりに松の木は見あたらない

七本松神社の碑の横には二代目七本松という文字が刻まれている

七本松神社の碑の横には二代目七本松という文字が刻まれている

七本松神社という小さな神社が鶴舞公園の近くにある。鳥居の傍らに二代目七本松という石碑が建てられている。松の木がどこにあるかと狭い神社の中を見わたしても、それらしい木は見あたらない。

昔、清洲から鳴海に通ずる街道には、何本もの松が植えられていた。松の木の下で休む人、松の木で炎暑を避ける人、街道に松の木はなくてはならないものだった。 前津と御器所との村境にも七本の松の大木があり、旅人を慰めていた。その松も次第に枯れ、天保五年(一八三四)五月には、二本が残るのみとなった。さらに、その二本の松も大正の初めには枯れてしまい、七本松町という町名だけが、かつての七本松の名残りをとどめていた。

『前津旧事誌』は、七本松を次のように紹介している。

天保二年壬寅七月人ありて此七本松に立願をかけしに、奇瑞立所に現れしかば、これを伝へ聞きて以来参詣の客引きも切らず、前津はこれがため時ならぬ賑ひを呈せり。当時の狂歌に、
     七本の松にねがひが叶ふげな
          大池大池と人はどんどと

この記述を参考にして『堀川端 不思議ばなし』に、七本松の奇瑞を物語に仕立てて載せた。 七本松は、前津を代表する景勝の地であった。『金鱗九十九之塵(こんりんつくものちり)』に、横井也有が選んだ「前津七景」が載っている。也有は、七本松を次のように紹介している。

路傍古松とハ世に七本松と呼べり。或ハ相生めきて立るもあり。又ハほと隔りて見るもあり。染ぬしぐれの夕べ。つもる雪の朝、詠ことに勝れたり。草薙の御剣の昔話を追て、もしハこの七ツを以て辛崎の一ツに替んといふ人あれども、我ハさらに思ひかへじ。

世に名高い近江八景の一つ、辛崎の松よりも、前津の七本松の景が勝れていると、也有は絶賛している。 七本松神社に佇んでいると、也有の記述との隔たりに嘆息せざるをえない。

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