伊勢国分寺跡周辺(国分町)
杖突坂を下りると東海道は国道1号線と合流する、采女の一里塚を過ぎ 国分町に入ると東海道の南に伊勢国分寺跡の史跡が広がる、鈴鹿市考古博物館では鈴鹿市内の奈良時代の寺院・役所に関する特色ある資料を収蔵、展示 している。
再び東海道に戻り、国道1号線から左に分岐する辺りにある 延命地蔵尊を過ぎしばらく進むと石薬師宿に入る。
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石薬師宿(石薬師町)
石薬師宿は江戸から数えて四十四番目の宿場。 天領であったこの地に宿駅が設置されたのは、元和二年(1616)と遅く、それまでは高富村と呼ばれていた。
人家約180軒のうち旅籠屋が約三十軒、百姓は約130軒で全戸数の約七割をしめており、農村的性格の 強い宿場であったようだ。
街道の中ほどの西側には小沢本陣がありその向かいには園田家が勤めていた問屋場があった。小沢本陣を過ぎ右手に、天野記念館、石薬師文庫を見て進むと明治、大正、昭和にわたり、歌人、歌学者として万葉集研究の最高峰を究めた佐佐木信綱博士の業績を顕彰する佐々木信綱記念館が現れる。記念館右手の佐々木信綱記生家や展示物を見学し、左手に浄福寺山門を 見て石薬師の一里塚へと進む。
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瑠璃光橋から一里塚へ
国道1号線をまたぐ瑠璃光橋を渡り、坂を下り右手に石薬師寺山門を見る。戦国の戦火のあと神戸城主一柳監物により、寛永六己巳年(1629年)に再建された石薬師寺は、薬師如来を本尊として祀っている。
しばらく進み、関西本線の手前左手に石薬師の一里塚跡の碑が建っている。 関西本線のガードをくぐり、左手に折れ、線路沿いに庄野宿へと進む。
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