庄野宿
関西本線と平行に走る東海道は上野の交差点を過ぎ、再び国道1号線と 合流する、加佐登町を過ぎ国道1号線を右に折れ、再び左に曲がり 国道1号線の北を平行して庄野宿の町並みが並ぶ。 庄野宿は江戸から百二里余、東海道四十五次にあたり、幕府の直轄領 寛永元年(1624)に設置された。南北八町で宿入口の加茂町 中町上町 からなっており、鈴鹿川東の古庄野から移った人達を合わせ七十戸で 宿立てをした。 宿の入口を過ぎ、右手に善照寺山門を見て進むと現在庄野宿資料館 として公開されている小林家住宅が左手に見える。 小林家住宅を過ぎると、右手に本陣跡の碑が立っている。 庄野宿本陣は、沢田家が勤め、間口十四件一尺、奥行二十一間一尺、 面積二百二十九坪七合、畳数百九十七畳半、板数四十四畳半と伝えられて いる。高札場跡、問屋場跡、脇本陣跡を過ぎ、右手にある川俣神社の 境内にあるスダジイは、三重県指定天然 記念物で、 高さ約11メートル、地上の周 り約5メートルの巨木。 これを見学し庄野宿に別れを告げる。
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汲川原町~和泉町
東海道はやがて鈴鹿川と平行に走る。汲川原町に入ると、道を挟んで 山の神、従是東神戸領石柱、女人堤防の碑が並んで立っている。 女人堤防の碑は、命をかけて汲川原を守るため当時死罪であった (対岸の神戸藩を守るため神戸藩は堤防建設を禁止した) 堤防建設を行い、赦免された女性たちを称える碑。 そんなエピソードに思いをはせながら東海道を進み、中富田町へ 入る。川俣神社のあるところに中冨田一里塚跡、神戸・亀山領界石が 並んで立っている。常念寺を右手に見て、西富田町の道標を 過ぎ、川俣神社の前をクランク状に曲がり、安楽川を渡り 和泉町へ入る。 鈴鹿市と亀山市の境の手前に観音寺跡と地福寺を望み亀山市へ入る。
地図(汲川原町~和泉町)
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