別れの涙でぬらした小袖 - Network2010

補講 名古屋~栄

別れの涙でぬらした小袖

テレビ塔の下にある「小袖懸けの松」テレビ塔の下にある「小袖懸けの松」テレビ塔の下、公園の樹木のあいだに、一本の高札が立っている。高札には、この地に古くから、小袖塚と呼ばれている一つの小さな塚があったということが記されている。
『金鱗九十九之塵』は、小袖塚の由来を、次のように記している。

この小袖掛松の由来を尋ねてみると、昔、治承年間〔一一七七~一一八〇〕のことだ。都から身分の高い人が、どのような理由があったのであろうか、当国の愛知郡井戸田の庄〔瑞穂区〕に配流された。そのとき、前津小林の里からひとりの女が、その方の世話をするために、側近く仕えていた。その方は、まもなく都に呼びもどされた。その女は、別れを惜しみ悲しみに耐えかね、この松の枝に小袖を脱いで掛け、松の木の下を流れている川に身を投げてしまった。
土地の人たちは、彼女の死をたいそう気の毒に思い、亡骸を取りあげ、ここに葬った。しるしの塚を築いて、小袖を松に掛けて供養した。

小袖掛松についての考察を朝岡宇朝著『袂草』はいくつか紹介している。

樋口又兵衛が言うことには、この松は太政大臣藤原師長卿から、別れにさいし白菊の琵琶をいただいた女が小袖を掛けた松であるという。白菊の琵琶は、いったん琵琶嶋に埋められた。だから琵琶嶋という地名がつけられたのである。その後、琵琶を掘り出したということなので、きっと尾張家に残っているだろうというお尋ねが昔あったが、結局わからなかった。撥の面に白菊が描いてあるので、この名がある。
高力猿猴庵が言うことには、この松は鍛冶屋町、袋町、本重町〔ともに中区錦〕の間の東側の裏にある。主人があまりにもこの松をだいじにして、はさみを入れすぎてしまったので枯れてしまったということである。
土屋恕有は、大津町〔中区丸の内〕をさがって東側の町家の裏に、大樹があった、これが小袖掛松であるという。先年、山本銅伝がここに隠居していたので、茶を習いにいって見たといっている。
稲留平左衛門は、この琵琶は先年荻野検校にさげ渡され、修復したのち平家琵琶になって今は熱田にあるという。

「小袖懸けの松」の解説「小袖懸けの松」の解説平安時代、井戸田の地で配所〔流罪の地〕の月を眺めていた藤原師長にまつわる伝承の一つが小袖掛松である。
現代では、ロマンとしてしか受けとられていない伝説を、江戸時代の知識人たちは、史実として受けとめ探索していた様子が『袂草』からよくうかがえる。
師長は、琵琶の名手であった。名手の師長が名器の白菊をたずさえ、熱田の社に参拝し、その社前で秘曲を演奏した。『平家物語』によると、妙なる調べに老いも若きも涙を流して、演奏に聞き入った。熱田の神も感応にたえきれず宝殿がゆれ動いたという。

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沢井氏関連イベント情報

『名古屋大須ものがたり』刊行記念 第32回堀川文化講座

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大須は一年を通していつも多くの人々で賑わっています。
大須の賑わいは、遠く江戸の昔から今に至るまで変わることのなく続いています。
芝居、映画、食い物、買い物と大須の町は人々を惹きつける魅力があります。
大須の魅力を多面的にとらえた『名古屋大須ものがたり』の刊行を祝し、下記要項で講演を催します。奮ってご参加下さい。
当日は、花をそえて大須にゆかりのある大正琴の琴伝流 結の会の皆さんに演奏していただきます。

◎内容
  • 第1部
    • 大正琴演奏 琴伝流 結(ゆい)の会
  • 第2部
    • 講演「名古屋大須ものがたり」
    • 講師:沢井鈴一(堀川文化を伝える会)
◎日時
  • 2010年7月31日(土) 午後1時~3時
◎場所
  • たちばなホール(愛知産業大学工業高等学校内)
  • 地下鉄名城線(東別院駅4番出入口から西へ徒歩6分)
◎参加費
  • 500円(冊子代含む)
◎定員
  • 260名(当日先着順)

◎お問い合わせ

  • 中区役所まちづくり推進室(電話052-265-2228 fax052-261-0535

沢井 鈴一(さわい すずいち)
沢井鈴一1940年 愛知県春日井市生まれ。明治大学文学部卒業後、市邨学園高等学校で国語科を教え、2000年3月に定年退職。名古屋市中区、北区等の生涯学習センター講師を務めるかたわら、堀川文化探索隊代表として長年にわたり堀川文化の地を調査・探索し数多の企画展を実現。著書に『浮世絵は愉しい』『伝えたい-ときめきを共有する教育』『堀川端ものがたりの散歩みち』『花の名古屋の碁盤割』『名古屋本町通りものがたり』など多数。

Webサイト:開府400年・名古屋の歴史と文化