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明治18年ころ祭礼に興を添えようと「ハツカネズミ」の張りぼてをつくったのが最初といわれています。その後魚類になり、大正初期に「大鯛」に、昭和初期には胴内ではやしながら海に泳がせるようになりました。長さ10~18mの竹と木の骨格に白木綿を巻いて作った大小の鯛5匹が若者達にかつがれ、街中や海を練り回る奇祭である。その様子は海の祭りにふさわしく勇壮です。 (愛知豊浜商工会公式ホームページより)
地図
※以下の文章は、南知多町文化財保護委員会 松本亀男 委員長にインタビュー取材したものを要約したものです。
鯛まつりの由来
愛知県津島市の津島神社のお札をいただいて各家庭へお配りするということで、基本的には津島神社と関連のあるお祭りです。かつては海を通じてお札を運んでいたと考えられます。
豊浜と師崎、日間賀島、篠島は、尾張藩初代徳川義直の頃から千賀志摩守が水軍の大将で、伊勢湾、三河湾を統治し船の安全航行とか海賊退治する役目を負って、当地に赴任し千五百石を賜りました。
(津島神社の祭礼は古くからありましたが) 鯛を作って奉納するようになったのは、およそ百年前といわれています。これは最近なんですが、海中遊泳を行うようになり漁師の鯛のお祭りらしい雰囲気をかもし出しています。
津島神社は、お仮屋から50mほど北にありまして、(前日23日に)神社で神事を行い、このお仮屋へ神輿渡御(神霊が宿った神体や依り代などを神輿に移しお仮屋へ行幸する)されます。
(海から上がった鯛は)各集落の中を3時間ほどかけて、ゆっくりと伊勢音頭を唄いながらお囃子とともに練り歩く。これは山車の代わり鯛になったと考えていただければ理解しやすいと思います。
鯛まつり
祭りのハイライトは、24日午後お仮屋で神事を行った後に四匹の鯛がお仮屋前で入り組んでもみ合う様子と、奉納するときに鯛止め向かって鯛の先をぶつけてくるのが壮観です。
奉納の儀
神輿還御(みこしせんぎょ)
中洲の鯛まつり
豊浜漁港の四匹の鯛は、四地区の集落が一匹づつ作りますが、ここから約3キロほど西にある中洲漁港(中洲地区)でも同じように鯛を作ります。こちらは中洲神社の祭礼として行われますので、鯛まつりの趣旨は同じですが祭礼は24日のみとなっています。
今後の課題
過疎化で子どもの囃子、舞妓、そして鯛を作る人、かつぐ人の人数が少なくなってきているので、それにあわせた運営の仕方をしないと長続きしないと心配しています。