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インタビュー要約
徳川美術館は、尾張徳川家に伝わる雛人形や雛道具をまとめて公開しています。かっては、数多くの雛人形や雛道具がありましたが、現在残っているのは江戸時代の終盤から明治時代、大正時代、昭和時代にかけての雛人形や雛道具です。尾張徳川家は、大名家のなかでも最も裕福であったので、大変豪華な衣装を使って仕立てられています。雛道具は、大名家の姫様の輿入れ道具を小さくしたものです。「なしじ」という金粉をふんだんに使った漆の工芸品で作られています。雛人形や雛道具で、ここまで豪華なものは、他にはありません。日本一豪華な雛人形や雛道具と呼んでも過言ではないと思います。
雛祭りの歴史
雛祭りは、古代中国において3月の最初の巳の日に、水辺に出て穢(けが)れや災いを祓う行事が起源と考えられています。この行事は、古く7世紀にはわが国にもたらされ、上巳(じょうし)の節供として3月3日に行われるようになりました。平安時代(794-1185/92)には宮廷の年中行事として定着し、この日に曲水の宴を催したり、桃酒を飲んだりしました。
また、自分の罪や穢れを、息を吹きかけたり身肌にすりつけて人形に託し、水辺に流す風習がわが国の俗信仰として古代からありました。これとは別に『源氏物語』をはじめとする王朝時代の文学作品の中では、幼ない子どもたちの遊びに用いられた人形を「ひいな」と呼んでいます。これらの風習が何時の頃から始まったのかは明らかではありませんが、3月3日の雛祭りの源流となったと考えられています。
江戸時代になると、次第に雛祭りは盛んになっていきました。今日みられるような雛祭りの形式は、江戸時代の初め頃に形成されたと考えられています。
徳川美術館提供資料より
有職(ゆうそく)雛
「有職(ゆうそく)」とは、公家社会のさまざまな決まり事を指す言葉です。「有職雛」は、家柄や季節などによって異なる公家の着る装束を正しく考証して作られた雛人形をいいます。
有職雛は、男雛の着ている装束の種類によって、「束帯(そくたい)雛」「直衣(のうし)雛」「狩衣(かりぎぬ)雛」とも呼ばれています。 束帯は公的な儀式の際に着用される礼服、直衣は上級の公家のちょっと晴れがましい平常服、狩衣はカジュアルな装いです。それにあわせて、女雛の装束も正装の十二単(じゅにひとえ)や日常の袿(うちき)などが用いられます。
徳川美術館提供資料より
御所人形
桐材をベースに胡粉(こふん)を塗り重ね磨き上げて仕上げられた人形です。子どもの穢れのない表情が表されています。災いを祓い、福を招く意味合いが込められています
犬張子
犬張子は人の顔に似せた犬をかたどった一対の置物で、犬筥(いぬばこ)とも呼ばれます。 子どもが誕生すると、その無事の成長を祈って、天児(あまがつ)と呼ばれる穢れや災いを祓う意味合いの 人形とともに枕元に置かれました。また婚礼の際にも持参され、生涯大切にされました。