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- No1愛知万博事務次長に就任
- No2戦争体験の継承を
- No3県庁職員時代のエピソード1
- No4県庁職員時代のエピソード2
- No5県庁職員時代のエピソード3
- No6県庁職員時代のエピソード4
- No7県庁職員時代のエピソード5
- No8万国博覧会の歩み
- No9主会場青少年公園に変更
- No10環境に配慮した会場建設
- No11市民参加と愛知万博
- No12ナショナルデー
- No13官民混成の難しさ
- No14ECO技術
- No15愛知万博の遺産
最終回
-インタビューの内容を要約して記事にしています-
ボランテイアの活躍とその後
かって日本の社会でなかったボランテイア活動が愛知万博で展開されました。阪神淡路大震災では、ボランティアをまとめるボランティアリーダが少なくうまく機能しませんでした。愛知万博ではこれを改善するため、ボランティアリーダを育ててリーダーと構成員が良い形でチームを組めるように取り組みました。始めのうちは、もたもたすることがありましたが、ただやる気のある人が集まり汗を流して一緒にボランティア活動を行ったことで、皆さんが張合いを感じられたことと思います。
万博の会期も後半になるとうまく機能するとようになり、万博終了後も何かやりたいという意見が出てくるようになりました。会期の最終日は涙々の別れがありましたが、終了後の一部のメンバーが集まってボランティア活動を継続し、NPOを設立した団体もあり、いい形で活動が継続されていると思います。このようなボランティアの活動が、今後の高齢化社会の中で役割を果たしてもらえればと感じています。
いまにつながる愛知万博の遺産
規模が小さいといわれながら、そして自然保護がむずかしいと言われながら、規模が小さくてもまとまりのある万博であったと 思います。21世紀の万博のひとつのスタイルを提示できたのではないかと思っていますし、BIEも環境を中心としてこれからの先進的なモデルになる万博だったと後に評価しています。明日に向けての思い切った実験とか展示が10年経った今、 あのこともこのことも実用化に近づいていると感じますし、それが万博の成果ではないかと思っています。
写真-愛知県観光コンベンション課提供
取材協力
愛知県観光コンベンション課
あいち海上の森センター
愛・地球博記念公園(モリコロパーク)
愛知総合看護福祉専門学校