安井俊夫の「シリーズ愛知万博を語る」その11-市民参加と愛知万博

【動画】シリーズ愛知万博を語るその11

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No1愛知万博事務次長に就任
No2戦争体験の継承を
No3県庁職員時代のエピソード1
No4県庁職員時代のエピソード2
No5県庁職員時代のエピソード3
No6県庁職員時代のエピソード4
No7県庁職員時代のエピソード5
No8万国博覧会の歩み
No9主会場青少年公園に変更
No10環境に配慮した会場建設
No11市民参加と愛知万博
No12ナショナルデー
No13官民混成の難しさ
No14ECO技術
No15愛知万博の遺産

第11回

-インタビューの内容を要約して記事にしています-

誘致活動

愛知万博の誘致に当たっては、市民のバックアップが大きな力になりました。例えば、本丸御殿フォーラム(現在:名古屋城文化フォーラム)の代表の人形作家の夢童由里子さんを始めとするメンバーがサポーターとして、パリBIE総会やアメリカ「ロサンゼルス名古屋姉妹提携40周年記念二世週祭パレード」にて万博を春姫道中でPRするなどの応援活動を行っていただきました。

市民参加の愛知万博検討会議

誘致が決定し、博覧会協会が設立されると、まず会場づくりと環境問題に取組むため協会内に愛知万博検討会議を設置しました。もちろんその委員会には、自然保護団体にも入ってもらいました。名古屋では藤前干潟を守る会、東京に本部を置く日本野鳥の会や日本自然保護協会などの代表者等がメンバーとなりました。
まずは、委員長を決定しようということになりました。事務局としては、大学の先生でしかるべき人を考えていましたが、当時、中京女子大の学長を務めていた谷岡郁子さんが委員長に立候補すると手をあげて、みな驚きましたが選挙の結果当選しました。どちらかと言うとかなり厳しい見方(自然保護に対して)をしている人なので大変だということになりました。
委員会の主導で、二段階の環境アセスメントなどを行っていましたが、そこに東海地方にしか植生しないシデコブシ(環境省によりレッドリストの準絶滅危惧の指定を受けている)や準絶滅危惧の指定を受けているオオタカなどの営巣が出てきて、もうこれは議論の余地はないということになり、主会場を長久手の愛知青少年公園に変えることになりました。主会場変更後も委員会は、二段階の環境アセスメントなどを行いながら会場建設作業を見守ることで、しだいに良き理解者になってもらったと考えています。
過去の例になりますが、1889年に開催されたパリ万博の時に、エッフェル塔を仮設で作るという案が出てきました。パリ市民は、30mスカイラインというものを非常に大事にするので大反対の声があがりました。その先頭に立ったのが文豪のモーパッサンでした。「万博だけの仮設で、終了後は撤去します」と約束し、エッフェル塔はできました。ところが万博期間中にモーパッサンは、エッフェル塔の中の喫茶室でコーヒーを飲んでいました。ある人が「先生、反対していたエッフェル塔に毎日来ていますね」と尋ねたところ 「ここにいると、私が反対したエッフェル塔が見えないから」との返答が返ってきたといわれています。これはフランス流のシャレだと思います。
万博のような大きなプロジェクト、特に環境問題などがある場合には、きちんとルールに従ってやってゆくことが必要で、そうすれば 理解は得られると思います。

ボランティアの活躍

もう一つの愛知万博の特色は、ボランティアの参加です。約3万人の方が登録しました。延べ人数では11万人ですので、会期中に4回程度 の参加が限度で、「もっとやりたかったのに出来なかった」と言うくらい熱心にやっていただきました。会場内のサービス等でボランティアの活躍が目立ったことを記憶しています。阪神淡路大震災の時には、ボランティアをやりたくてもそれを仕切る人材が不足して中々うまく行き ませんでしたが、愛知万博の場合は旨くいったと思っています。また、この経験が東日本大震災のときに、かなり役に立ったと聞いています。
万博終了後も、これに関わった人々がグループを作ったり、なかにはNPO法人を立ち上げるなど、現在も継続して活動されています。「万博の経験が現在も生きているので、再度、万博が開催されればもう一度ボランティアで参加したい」との声をよく聞きます。ボランティア活動も、住民参加・市民参加の一例で、これにより愛知万博の運営が旨くいったと考えています。

愛知万博会場


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