- INDEXへ
- No1愛知万博事務次長に就任
- No2戦争体験の継承を
- No3県庁職員時代のエピソード1
- No4県庁職員時代のエピソード2
- No5県庁職員時代のエピソード3
- No6県庁職員時代のエピソード4
- No7県庁職員時代のエピソード5
- No8万国博覧会の歩み
- No9主会場青少年公園に変更
- No10環境に配慮した会場建設
- No11市民参加と愛知万博
- No12ナショナルデー
- No13官民混成の難しさ
- No14ECO技術
- No15愛知万博の遺産
第13回
-インタビューの内容を要約して記事にしています-
官・民混成による博覧会事務局
愛知万博に関わったのは、国、愛知県、名古屋市、それに瀬戸市、長久手町(現在長久手市)などの地元自治体。民間からは、地元のトヨタ自動車などの大手企業、その他に東京に本社のある企業からも博覧会協会に人を出してもらいました。一人一人、出身母体が違い、本籍地がも生まれ育ちもバラバラでした。その上、出身母体の慣行の違いや文化度の差の調整に苦労しました。
出身母体の違いがトラブルを招く
一例を挙げると、ある課長の隣で勤務する出身母体の違う課長が、一言の声もかけずに帰宅するといった苦情を受けたことがありました。その課長を呼び出してそのことの釈明を求めると、「お先に失礼」と挨拶代わりにメールを送っていますとの答えが返ってきました。私は「万博というのは、お互いに顔を合わせて声をかけるイベントじゃないか。メールでは失礼だ」と言うと、「うちの会社は、それが当たり前です。メール社会とはそういうものです」と返答されました。私は「あなたの会社ではそうかも知れないが、博覧会は、とにかくお客様に来ていただいて声をかけて、話をして楽しんでもらうことが仕事だ」と態度を変えることを求めましたが、出来ないということなので、仕方なく出身母体の人事部の部長さんに翌日来ていただいて一緒にお帰りいただきました。
東京と名古屋のコミュニケーションの難しさ
博覧会協会は、東京と名古屋に事務所があり、その間の連絡をさらに緊密に行うために映像を映し出す会議用の回線をひきました。しかし、実際に使ってみると様々な不都合が生じました。ある角度しか人が映らないし、肉声が回線を通すことで1~2秒ずれてしまいます。そのずれが、双方のコミュニケーションを阻害するということで、重要な案件は双方が出向いて直接話しあうことになりました。
官と民の慣行の違いと融和
もう一つ、国会で万博関連の質問が出そうな時があります。公務員出身の職員は、議会開会時には深夜に及ぶことがあり、その間は 関係部署の職員は待機がかかることを理解していますが、民間会社出身の職員には無駄な時間と捉えられていたようで、そのうえ 何もなければ無駄な残業ということになり、「これは、おかしい」との声が起こりました。私は、「国の予算も使った国家事業なので、従って欲しい」と伝えましたが、民間出身の人には大不評で、いつも怒られていました。
前半は、いろいろぎくしゃくしましたが、かえってそれが良かったと考えています。軌道に乗ってくると皆の間にやる気が出始めてきました。特に、豊田会長の「皆で力を合わせ、万博を成功させよう」との一声が皆に力を与えたと思っています。会期も最後になると、成功に向けて一丸となり9月25日の最終日を迎えることができました。