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- No1愛知万博事務次長に就任
- No2戦争体験の継承を
- No3県庁職員時代のエピソード1
- No4県庁職員時代のエピソード2
- No5県庁職員時代のエピソード3
- No6県庁職員時代のエピソード4
- No7県庁職員時代のエピソード5
- No8万国博覧会の歩み
- No9主会場青少年公園に変更
- No10環境に配慮した会場建設
- No11市民参加と愛知万博
- No12ナショナルデー
- No13官民混成の難しさ
- No14ECO技術
- No15愛知万博の遺産
第12回
-インタビューの内容を要約して記事にしています-
世界最大のイベント
万博は、大きなお祭です。第1回目のロンドン万博でも400万人の来場者がありました。最近の万博は、会期が半年と決められています。愛知万博でも、185日6ヵ月でしたが、あと10日延ばしてくれなどとの要望もありましたが、それは無理な話です。ただ、世界で最大のイベントであることは、間違いありません。まず会期が6ヵ月もあり、たとえばオリンピックでもワールドカップサッカーでもそんなに長くやりません。会期が長いこともあり、人がたくさん来ます。愛知万博の場合、会場も小さく、いろいろな制約条件も多く、しかもテーマがいままでの万博と違いますので、想定来場者は1500万人でした。1500万人というのは、いかにも少ないんですが、輸送力とか他の条件を考え、ちょっと控えめな数字となりました。しかし、会期の後半になると、多い日には1日に28万人の来場者を数え、結果的には想定人数を大きく越えて2200万人が会場を訪れました。20世紀までの万博と条件が違うなかで、まとまりの良い来場者数だったと考えています。
ナショナルデーでの国際交流
会期中にナショナルデーという、それぞれの国のお祭の日があります。その日には、各国の代表者として首脳が訪れます。時には大統領が来る場合もありますが、大体は大臣クラスの首脳でした。たとえば中国からは、呉 儀副首相、ケニアからは マータイ環境大臣らが国を代表して挨拶をします。博覧会協会の豊田会長は121カ国あったナショナルデーの半分以上に 参加されました。とにかくその日は、ナショナルデーの国が博覧会会場の主役になります。このことにより、その場で外交や 交流が可能となり、またトップレベルの世界の芸術、文化に接することができなど大きな成果をあげることができました。
万博と食
人が集まれば食があり。1856年のパリ万博では、ボルドーのワインのランクづけが行われました。その格付けは、現在も変わっていません。また、万博をきっかけにして普及した事例も多くあります。1904年のセントルイス万博では、ホットドッグと ハンバーガーが人気を呼び、あっという間に世界に広がりました。大阪万博では、万博で人気のあったベスト5を発表しています。ピザ、ブルガリア・ヨーグルト、インドカレー、シシカバブ-、それともう一つは、フライドチキンでした。フライドチキンは、万博終了後すぐに名古屋市西区に1号店が開店し、あっという間に日本中に広がりました。ただ、その店はなくなっています。
愛知万博では、それぞれのパビリオンでお国自慢の料理が出されていましたが、大阪万博のようにベストファイブを決めることはありませんでした。私の直感ですが、回転すしがこれに当たると思います。それまでは日本のすしは、外国では 少し高めで普及が遅れていました。ところが回転すしは値打ちに食べれることで人気を呼び、それを契機に海外へ進出し人気があると聞いていますので、これが1番だと思っています。