沢井鈴一の「名古屋広小路ものがたり」
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2009年4月17日
沢井鈴一の「名古屋広小路ものがたり」第4講 大正時代の広小路 第3回「御大典記念」
雨が降れば、海のような状態になる。雨が止んだ後は、何日もぬかるみが続く。人力車が道の中央を走りぬけてゆく。牛車や馬車がゆっくりと道の脇を通ってゆく。自動車が走れば、ぬかるみのしぶきがはね、通行人の着物にかかる。 下駄で、ぬか...
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2009年4月10日
沢井鈴一の「名古屋広小路ものがたり」第4講 大正時代の広小路 第2回「饅頭のごとく円満に、うどんのごとく末長く」
大正二年五月五日、改築された納屋橋の渡り初めが行なわれた。竣工式を一目でも見ようと納屋橋におしかけた人々は六万人をこしたという。屋根の上から式典を見つめる人、納屋橋の川の下には幾艘も伝馬船が浮かんでいる。伝馬船の上も、式典を見つめ...
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2009年4月3日
沢井鈴一の「名古屋広小路ものがたり」第4講 大正時代の広小路 第1回「納屋橋の運河遺構」
昭和の広重と謳われた川瀬巴水(一八八三~一九五七)が昭和十年に描いた堀川の版画がある。堀川を描いた木版画は、巴水の作品以外に見たことはない。非常に貴重なものだ。 巴水の絵は、夜空に輝く星が耿々と堀川を照らしている図だ。無人の石畳の...
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2009年3月27日
沢井鈴一の「名古屋広小路ものがたり」第3講 開化期の広小路 第10回「広小路の夜を照す粋な明り」
地下鉄伏見駅を出て、広小路を東に歩いてゆくと南側に電気文化会館がある。ギャラリーで展覧会を見たり、喫茶室でお茶を飲んだりする人々で、いつも大変な賑わいをしめしている。 電気文化会館が建っている地には、かつて名古屋電灯株式会社...
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2009年3月20日
沢井鈴一の「名古屋広小路ものがたり」第3講 開化期の広小路 第9回「御園座開場す」
雑誌『歌舞伎』明治三十九年十二月号に「元来名古屋は芸道に身を入れる風習あり、旅興行の俳優なども、この地を煙ったがることは、つとに世人の知るところ、されば田舎にしては恐ろしきほどの見巧者あり、いわゆる寸鉄人を殺す大向うの半畳なれど、...
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2009年3月13日
沢井鈴一の「名古屋広小路ものがたり」第3講 開化期の広小路 第8回「広小路を電車が走る」
広小路通りを、のんびりと市電が走っていたのどかな姿は、遠い過去の面影の光景になってしまった。ゆっくりと走る市電の姿は、外から眺めれば、のんびりとした光景だが、市電の中はラッシュアワーともなると大変な混雑であった。市電だけが広小路を...
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2009年3月6日
沢井鈴一の「名古屋広小路ものがたり」第3講 開化期の広小路 第7回「買うか、買うまいか勧工場」
広小路通りを、のんびりと市電が走っていたのどかな姿は、遠い過去の面影の光景になってしまった。ゆっくりと走る市電の姿は、外から眺めれば、のんびりとした光景だが、市電の中はラッシュアワーともなると大変な混雑であった。市電だけが広小路を...
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2009年2月27日
沢井鈴一の「名古屋広小路ものがたり」第3講 開化期の広小路 第6回「紅葉屋事件」
本町通りを広小路を越え、末広町に向かって歩いてゆく。入江町筋を渡ると、通りに面して右側に紅葉屋がある。この店は、幕末、洋反物商として巨財をなした紅葉屋の屋号と経営権を譲られた番頭の浅野甚七が創立した店である。 明治三十四年(...
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2009年2月20日
沢井鈴一の「名古屋広小路ものがたり」第3講 開化期の広小路 第5回「開化期の商売繁盛記」
明治二十一年(一八八八)刊行の『尾陽商工便覧』は、尾張の代表的な商家を絵画で紹介したものである。この絵を見ていると当時の商家の様子と風俗をよくうかがうことができる。 広小路で紹介されている商家は、栄町では料理屋の喜楽亭だ。喜楽亭は...
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2009年2月13日
沢井鈴一の「名古屋広小路ものがたり」第3講 開化期の広小路 第4回「名古屋郵便電信局」
明治維新は、従来の価値観を根底から、くつがえすものであった。生活習慣も、旧来とはまるで異なったものへと変っていった。明治新政府は、西洋が三百年かかって、作りあげた科学文明を、十年ほどの間に、矢継ぎ早に取り入れていった。夏目漱石の言...