沢井鈴一の「名古屋の町探索紀行」第1講 古渡七塚めぐり 第2回「片葉塚」

片葉塚

全国各地に伝わっている七不思議の中で、最も頻繁に登場するのは片葉の葦であろう。遠野、塩原、越後、上越、奈良田(山梨)、遠州、東京の本所深川と数えあげれば際限がないほど、各地の七不思議の中に、片葉の葦は入っている。

愛知県では、長篠の七不思議に登場している。 織田信長との合戦を控えた武田勝頼の夢枕に葦の精が現れ、戦いの無意味さを懇々と諭した。夢から覚めた勝頼は怒って医王寺の弥陀池の葦を全部切り落とそうとした。その時、一天にわかにかき曇り、空から葦の精の声が響いてきた。 「私の忠告を無視して、お前が信長と戦えば、多くの家臣を失くし惨敗するであろう。あまつさえ、お前も生命を落とすことになる」 勝頼は、片葉の葦の忠告を無視し、無謀な合戦をして武田家を滅亡させてしまった。それ以来、医王寺の弥陀池の葦は、すべて片葉になったということだ。

宮部みゆきの「本所深川ふしぎ草紙」 の第一話に登場する本所深川七不思議の片葉の葦は、おどろおどろしい伝説がもとになっている。 留蔵というならず者が、一杯飲屋のお駒というきっぷのよい女に惚れた。いくら留蔵が言い寄っても、お駒はなびこうとしない。留蔵は、自分を避けてばかりいるお駒を駒留橋の袂で待ち伏せをした。おりから通りかかったお駒を留蔵は追いかける。逃げるお駒の背中を、留蔵は合口で切りつけ殺してしまった。死体を大川の葦の間に投げ入れた。それ以来、この地の葦は片葉になってしまったという。

同じ東京の千住七不思議の片葉の葦は、弘法大師にまつわる伝説にちなむものだ。 弘法大師が足立の地に足を踏み入れたとたん、今までそよいでいた葦が弘法大師の威光にひれ伏して片葉になってしまった。

遠州七不思議の一つ片葉の葦は、浜松の佐鳴湖畔にある葦にちなむものだ。 ここの葦は、すべて北を向き、京都に向かってたなびいている。なぜならば、都にいる恋しい人を慕う娘の悲話が伝わっているからだ。 浜松に流罪になった貴公子と土地の娘とが恋仲となってしまった。貴公子は罪が許され、都に帰ってしまう。娘は嘆き、悲しみ亡くなってしまった。葦の精となった娘は、恋人のいる北の方にいつもなびく片葉の葦となってしまった。

紹介した四つの七不思議の片葉の葦の伝説を分類すると、長篠の話は葦の霊応を示すものであろう。同類のものに遠野七不思議があげられる。ここの葦の生えている淵で願いごとを唱えるとすべて願いが叶えられるという。 本所深川は怨霊型に分けられる。千住七不思議は偉人に対する威光型だ。上越七不思議の片葉の葦は親鸞上人の詠まれた歌、

結び置く片葉の葦の後の世に
我あとしたり小道しるべにも

にちなむものだ。遠州七不思議は慕情靡靡型ともいうべきものだ。 古渡七塚の片葉塚について『那古野府城志』は、次のように記している。

東田面内にあり。此辺に生ずる芦は皆片葉なり。因ていふ。

各地の七不思議にちなむ片葉の葦と異なり古渡の片葉の葦には、その因縁にからむ伝説が残されていない。『堀川端ものがたりの散歩みち』では、義次伝説を片葉の葦とからめて創作をした。

片葉塚の所在地は、平和二丁目地内にあったと推定される。なお緑区鳴海町林木にも片葉の葦の伝説が残っている。片平小学校の校章は、片葉の葦をあしらったものだ。

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