徳川家康は名古屋城下建設時、名古屋城の南の区域を碁盤の目のように区画し「碁盤割」と呼んだ。広小路ができる前は堀切筋と呼ばれ道幅三間(3.64m)の狭い道であった。万治3年(1660)万治の大火と呼ばれる大火事が発生し城下町の大半を焼き尽くし、それを契機に久屋町から長者町までの区間が4倍以上拡幅され広小路が建設された。以後、現在にいたるまで名古屋を代表する道として使われてる。夏の夜は涼を求めて多くの人が芝居、物まね、居合抜きの芸を夜が更けるまで楽しんだ。
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