連載
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2011年7月8日
沢井鈴一の「名古屋の町探索紀行」第3講 七墓巡礼歌のみち 第6回「人馬つめおく伝馬町―札の辻」
堀川より東へ七間町までと、七間町より東へ北片側伊勢町までの間が伝馬町の区域である。 町名の由来について『金鱗九十九之塵(こんりんつくものちり)』は次のように記している。 当町を伝馬町と号することは、清須越の町名にて、且清須の...
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2011年7月1日
沢井鈴一の「名古屋の町探索紀行」第3講 七墓巡礼歌のみち 第5回「ちらりちらりと桜町―桜天神社」
杉の町筋の南にあたる東西道路が桜の町筋、昭和十一年(一九三六)十二月、名古屋駅の新築移転に伴って、東桜町から駅に通じる桜通が新設された。 狭い桜の町筋は一変し近代的道路にと変貌した。桜通りの両側には高層ビルが立ち並んだ。公孫樹並...
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2011年6月24日
沢井鈴一の「名古屋の町探索紀行」第3講 七墓巡礼歌のみち 第4回「桧さわらや杉之町―高岳院」
杉の町は俗称で、公式の町号ではなく筋の名前である。 江戸時代、杉の町筋は、中橋から東へ緩やかな坂を上り、御園町筋までは、武家の蔵屋敷が続いていた。『尾張名陽図会』によれば、御園町筋より本町筋までは、万屋町の町域を作っていた。(『...
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2011年6月17日
沢井鈴一の「名古屋の町探索紀行」第3講 七墓巡礼歌のみち 第3回「どなまぐさいが魚の棚―河文」
魚の棚と呼ぶのは、町の名前ではなく、筋(道)の名前である。江戸時代、魚の棚筋には、三つの町があった。西端の車ノ町は、桑名町筋と木挽町筋との間の四丁、まん中に位置する、小田原町は桑名町筋と本町筋に挟まれた三丁、東端の永安寺町は本町筋...
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2011年6月10日
沢井鈴一の「名古屋の町探索紀行」第3講 七墓巡礼歌のみち 第2回「にほいも高き京町―少彦名神社」
『金鱗九十九之塵(こんりんつくものちり)』は、京町の町名由来を次のように述べている。 当町、名を京町と申候事は、在清須の節より斯申候。清須本町の近所、京町と申所田畑に成候へば、今字に京町と取扱申候。扨京町と名付候旧緒の儀、慶長十...
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2011年6月3日
沢井鈴一の「名古屋の町探索紀行」第3講 七墓巡礼歌のみち 第1回「八十七番 花の名古屋の町割」
江南、村久野の地に部落の人々が集う、小さな喫茶店がある。村久野を調べる用事があり、何げなくその喫茶店に入った。カウンターに座り土地の人々とコーヒーを飲んでいた。話がたまたま、私財を投げうち、家業を傾けて村久野を研究された、今は亡き...
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2011年5月27日
沢井鈴一の「名古屋の町探索紀行」第2講 前津七不思議めぐり 番外「雲龍水引─下前津」
文政七年十二月二十五日の午後三時頃、飴屋町下筋から出火した。またたく間に、経堂筋を焼き払い、中筋から不二見まですべて灰塵に帰してしまった。焼失地域は南北は約五丁(五五〇メートル)、東西は五、六丁に及んだ。 火事の凄まじさを表...
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2011年5月20日
沢井鈴一の「名古屋の町探索紀行」第2講 前津七不思議めぐり 番外「一目連─鶴舞公園竜ケ池」
中部電力と神頼みという興味深い一文が『怪異の民俗学2 妖怪』のなかに載っている。 ここでおもしろいのは名古屋に本社がある中部電力である。その近代的な本社ビルの中核にあり、コンピューターで武装された中央給電指令所の一室に、神棚...
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2011年5月13日
沢井鈴一の「名古屋の町探索紀行」第2講 前津七不思議めぐり 第7回「願かけ七本松─七本松神社」
七本松神社の碑の横には二代目七本松という文字が刻まれている 七本松神社という小さな神社が鶴舞公園の近くにある。鳥居の傍らに二代目七本松という石碑が建てられている。松の木がどこにあるかと狭い神社の中を見わたしても、それらしい木...
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2011年5月6日
沢井鈴一の「名古屋の町探索紀行」第2講 前津七不思議めぐり 第6回「卯木─宇津木橋」
ものは百年使用していると魂がこもり、霊がつくという。樹木も、長寿の木には霊がこもっている。 樹霊にまつわる伝記は数多く残っている。秀吉が朝鮮征伐のために白山神社の神木を切らせたら、木から血がしたたり落ちてきて、切るのを中止したのは...