連載
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2010年12月10日
沢井鈴一の「俗名でたどる名古屋の町」第8講 バンコ長屋から榊の森 第2回「巻の森」
奥村徳義の『松涛棹筆』に「古渡東本願寺辺之古覧」と題した絵図が載っている。享和年間(一八〇一~一八〇四)の御坊とその周辺を描いたものだ。御坊の南側には、樹々が描かれ、「おいせの森」と記されている。 東御坊の北側は、下茶屋町だ...
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2010年12月3日
沢井鈴一の「俗名でたどる名古屋の町」第8講 バンコ長屋から榊の森 第1回「バンコ長屋」
昔ながらのたたずまいの町の情景が、日々に姿を変えてゆく。久しぶりに訪れた町の変貌に驚くことが、しばしばある。円頓寺の例をもちだすまでもなく、町の移り変わりは、ここ二、三年の間、特に顕著だ。 開発という名のもとに、町は破壊され...
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2010年11月26日
沢井鈴一の「俗名でたどる名古屋の町」第7講 お小屋から七面横町 第6回「七面横町」
横町、なんとも愛着をそそられる言葉だ。本通りに対して、町内をぬける路という感じが、横町という言葉には、こめられている。本通りのとりすました、よそよそしい感じに対して、生活感が横町にはある。 つい少し前までは、横町でどんな買物でもす...
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2010年11月19日
沢井鈴一の「俗名でたどる名古屋の町」第7講 お小屋から七面横町 第5回「穴門筋」
本町通りから崇覚寺の裏手を通り、東掛所(東別院)に出る道を穴門筋という。 東掛所の西側、石垣の間に、人がくぐりぬけることができる小さな穴があいていた。それを人々は穴門と呼んでいた。 東掛所の堅牢ないかめしい建物の中で、穴門はとるに...
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2010年11月12日
沢井鈴一の「俗名でたどる名古屋の町」第7講 お小屋から七面横町 第4回「御坊様」
東別院は広大な敷地の中に建立されている。参拝客が自由に出入りできる表門と異なり、裏手に回ると、およそ寺とは不似合いな堅牢な石垣作りになっていて、一歩も人を寄せ付けないような構えになっている。城郭のようないかめしい造りになっているの...
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2010年11月5日
沢井鈴一の「俗名でたどる名古屋の町」第7講 お小屋から七面横町 第3回「広見」
『尾張名所図会』には、名古屋御坊東側の広場の図が載っている。この広場は、東広見と呼ばれ、火除け地として開かれたものだ。 名古屋御坊西側にも、西広見と呼ばれた広場があった。奥村徳義『松涛棹筆』には「古渡東本願寺辺之古覧」と題した享和...
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2010年10月29日
沢井鈴一の「俗名でたどる名古屋の町」第7講 お小屋から七面横町 第2回「閲蔵長屋」
『尾張名所図会』に詳細な東別院の図が載っている。もっとも東別院と呼んでいる一般的な呼称は、明治九年から使われ始めたものだ。現在でも、東別院の正式な名称は、真宗大谷派名古屋別院という。東本願寺は、明治初期教団の近代化を押し進めるにあ...
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2010年10月22日
沢井鈴一の「俗名でたどる名古屋の町」第7講 お小屋から七面横町 第1回「お小屋」
国道十九号を大須から金山に向けて、車を走らせる。東別院線を越すと東側に、不老園という菓子屋がある。不老園は幕末から菓子を製造している老舗の店だ。この店は、戦前は橘町の本町通りの大木戸のあった地の東側で商売をしていた。不老園で生まれ...
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2010年10月15日
沢井鈴一の「俗名でたどる名古屋の町」第6講 ねずみ坂・いたち坂 第6回「枕横丁」
中区役所の建っている地は、かつては行政の中心区域であった。愛知県庁があった。愛知県の議事堂があった。警察署があり、消防署があった。県庁の隣には名古屋市役所が建っていた。いかめしい髭をはやした官吏が通りを横行する街であった。
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2010年10月8日
沢井鈴一の「俗名でたどる名古屋の町」第6講 ねずみ坂・いたち坂 第5回「椿寺」
俗名は時代の流れを反映している。栄町の角から松坂屋に向けての南大津通りを、ティシュ通りと呼ぶ人がいる。地下街から地上に出ると、すぐにティシュを渡されるからだ。 今は休眠状態だがナナちゃん人形も世相を反映した俗名だ。駅前で人と待ち合...