制作状況
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2012年7月6日
沢井鈴一の「名古屋の町探索紀行」第9講 下街道の山田庄 第1回「山田天満宮」
千種区の上野天満宮、中区の桜天神社とともに、受験シーズンともなると合格祈願の受験生の姿が狭い境内の中に多くみられる。 東風吹かば匂おこせよ梅の花 あるじなしとて春な忘れそ 配流の地・太宰府で、都をしのんで詠んだ菅原道...
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2012年6月29日
沢井鈴一の「名古屋の町探索紀行」第8講 志賀の里 第10回「六所社」
北区内には、六所社が下飯田、上飯田、安井町、金城町にある。いずれも祭神はイザナギ、イザナミ、天照大神、スサノオノ尊、月夜見尊、蛭子の六柱。 イザナギはわが国土や神々を生み、山海や草木を掌った男神。イザナミはイザナギノミコトの...
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2012年6月28日
今川軍の丸根砦、鷲津砦に対する攻撃の報は、清洲城の信長の元にも知らされる。篭城か決戦かで 動揺する織田軍の重臣たちに対して、それまで動じなかった信長は、幸若舞「敦盛」を舞った後 出陣の断を下して桶狭間へと向かう。御前8時ころに熱田...
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2012年6月28日
永禄3年(1560年)5月18日 桶狭間の戦いの前日、今川義元は沓掛城入城して織田軍殲滅の軍議を開いた。 大高城と鳴海城は、今川方の前線基地、織田信長は大高城の間近に鷲津砦、丸根砦を、鳴海城の東側に 丹下砦、善照寺砦、中島砦を築い...
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2012年6月22日
沢井鈴一の「名古屋の町探索紀行」第8講 志賀の里 第9回「光音寺」
黄雲山光音寺は曹洞宗の古寺である。江戸時代は大須の万松寺の末寺であったと伝えられている。庭の中に名古屋市の指定文化財である無縫塔がある。歴代住職の墓塔である。細長い塔身は鎌倉時代の作で、やや不均整な印象を与える。中台は小型で厚みが...
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2012年6月15日
沢井鈴一の「名古屋の町探索紀行」第8講 志賀の里 第8回「揚り戸古墓地」
尾州山田庄志賀郷と記されている安栄寺の六地蔵は、もともとはこの揚り戸の古墓地に昭和の初期まであったものである。揚り戸とは、小船などによって、物資を積みおろしする地のことである。志賀公園の東一帯は、かつて揚り戸と呼ばれ、船から荷揚げ...
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2012年6月14日
天正3年(1575)7月9日織田・徳川連合軍 三万八千と武田勝頼軍 一万五千は 設楽ケ原で対峙した。織田・徳川連合軍は馬防柵(ばぼうさく)を構築、 種子島に伝来した火縄銃を大量に使い、武田軍を迎え撃ち勝利を収めた。 戦国の流れの大...
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2012年6月8日
沢井鈴一の「名古屋の町探索紀行」第8講 志賀の里 第7回「平手政秀宅址」
志賀公園の中に平手政秀を顕彰する碑が建っている。享和二年(一八〇二)に建立されたものだ。漢文で刻まれた文を書き下し文に直せば「人誰か死に至らざる。或は鴻毛より軽く、或は泰山より重し。其の重きや之に處するに有り、其の軽きや之を決する...
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2012年6月7日
博物館 明治村は、明治時代の建物等を移築・復元し、当時の歴史や文化を今日に 伝えようとする野外博物館。 1965年に犬山市の入鹿池のほとりにオープンした。
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2012年6月1日
沢井鈴一の「名古屋の町探索紀行」第8講 志賀の里 第6回「志賀公園遺跡」
昭和五年(一九三〇)、西志賀土地区画整理組合が平手政秀を顕彰するための公園を造成した。地下を掘りすすんでゆくと土師器、須恵器、山茶碗等が出てきた。小栗鉄次郎、吉田富夫氏らの調査によって、弥生時代前期の東限の貴重な遺跡であることが判...