アーカイブス

  • 2011年12月5日

    明治時代の名古屋「第十回関西府県連合共進会」

    明治40年(1907)11月、愛知県は第十回関西府県連合共進会の誘致を決定しした。関西府県連合共進会は、 明治16年(1883)大阪府が主催して1府16県の参加で始まり、以後ほぼ3年おきに開催されてきた。

  • 2011年12月5日

    明治時代の名古屋「商品陳列館」

    愛知県商品陳列館は明治末期に商工業の振興を目的として大須門前町に建てられたルネサンス様式の堂々たる建物。 主に愛知県の工業製品が陳列されていた。昭和9年(1934)に取り壊された。

  • 2011年12月5日

    明治時代の名古屋「大須観音」

    清須越により岐阜県の大須郷から転した大須観音は、明治時代に入っても「観音さん」の愛称で親しまれ、 また大須の商店街は歓楽街として 繁栄しました。明治25年(1893)3月宝生座からの出火により大須観音はほぼ全焼した。本堂は再建さ...

  • 2011年12月5日

    明治時代の名古屋「浪越公園」

    江戸時代に禅寺・清寿院があったが、明治時代になって廃寺となりその跡地は愛知県下で始めての公園として開放された。鶴舞公園が開園すると浪越公園は廃止され、現在では那古野山公園としてビルに埋もれるように存在している。

  • 2011年12月5日

    明治時代の名古屋「岡谷商店」

    寛文9年(1669) 初代岡谷總助宗治が、名古屋の本町通沿い鉄砲町(現在の本社)にて金物商「笹屋」を創業。 江戸、大阪にも出店をかまえた。昭和12年(1937) 株式会社岡谷商店を設立、昭和18(1943)岡谷鋼機株式会社に改称...

  • 2011年12月5日

    明治時代の名古屋「鉄道敷設5000マイル」

    明治39年(1906)鉄道敷設5,000マイルを記念して名古屋でも祝賀会が開かれた。

  • 2011年12月5日

    明治時代の名古屋「開業当時の名古屋駅構内」

    開業当時の名古屋駅構内:駅は木造平屋建て、ホームは壁面が板張りで屋根はなかった。東海道全通の時点でも、新橋~神戸間の直通列車は日に往復4本だった。客車が3両、前後に荷物車が一両ずつの5両編成で運行された。

  • 2011年12月5日

    明治時代の名古屋「開設当時の名古屋駅」

    明治19年(1887)、あたりは沼地と湿地帯のなかに突貫工事で名古屋停車場が開業しした。駅をつくるため、 あちこちで土が掘り返され沢山の池ができした。大きな池のそばで車夫が人力車を洗っている姿が写っている。

  • 2011年12月5日

    明治時代の名古屋「濃尾地震罹災者(愛知病院)」

    濃尾地震罹災者は、堀川端にあった愛知病院(名古屋大学医学部附属病院の前身)に収容され治療にあたった。

  • 2011年12月5日

    明治時代の名古屋「愛知県立医学専門学校」

    明治4年(1871)に旧尾張藩の評定所・奉行所跡地(現在の愛知県産業貿易館所在地)に開設された「仮病院・仮医学校」が起源。その後一時西本願寺掛所にありましたが明治10年(1877)、堀川の東岸天王崎町に移転しした。 大正3年(1...