アーカイブス

  • 2011年12月5日

    明治時代の名古屋「飛行機名古屋へ初到来」

  • 2011年12月5日

    明治時代の名古屋「ロセッタ丸入港」

    名古屋港の第一期工事は着実に進み、明治39年(1906)には新聞社主催で全国を巡洋する博覧会用の船舶ロセッタ丸が入港した。海岸沿いには、多くの見物客がおしよせ築港工事の宣伝に一役かった。

  • 2011年12月5日

    明治時代の名古屋「名古屋港開港」

    明治40年(1907)名古屋港が開港しした。明治43年(1910)には名古屋港第一期工事が完了し開港により3,000トン級の船舶が最大10隻停泊できるようになり、外洋から物資が直接名古屋に入荷されることが可能になった。

  • 2011年12月5日

    明治時代の名古屋「名古屋港の浚渫作業」

    明治31年(1898)には浚渫工事が始まり、翌年には浚渫船三隻を購入する契約が結ばれ、初めて浚渫機による港湾建設工事が行われた。

  • 2011年12月5日

    明治時代の名古屋「新堀川(精進川)」

    熱田神宮に参詣する人たちがこの川でみそぎをしたことからこの名が付けられたと言われている。川筋が蛇行し洪水の原因ともなっていたので、明治16年(1883)運河に改修する計画が建てられ明治43年(1910)新堀川が竣工した。

  • 2011年12月5日

    明治時代の名古屋「熱田港」

    名古屋港ができるまで、名古屋のウオータフロントは熱田。熱田港の沖合いは遠浅で干拓事業には適していたが、熱田港への大型船の入港をはばむ大きな要因となっていた。そのため当時は四日市まで運ばれた貨物を小型船に積み替えて熱田港まで回漕せざ...

  • 2011年12月5日

    明治時代の名古屋「上知我麻神社」

    源太夫社(上知我痲神社)は、東海道と美濃路の分岐する追分に建てられていた。知恵の神様として「知恵の文殊(もんじゅ)さま」と呼ばれて崇拝されが。戦後移転され現在は熱田神宮の境内に鎮座している。

  • 2011年12月5日

    明治時代の名古屋「熱田魚市場」

    江戸時代現在の熱田区木之挽町、大瀬子にかけての浜では魚市場が開かれていた。尾張藩による問屋の専売制で 六軒の問屋が仕切っていした。明治・大正時代に入っても隆盛をきわめ船入町の名古屋水産市場と並ぶ市場。

  • 2011年12月5日

    明治時代の名古屋「熱田神宮」

    三種の神器の一つである草薙剣(くさなぎのつるぎ)をを御神体としている熱田神社は明治時代にはいると熱田神宮に改称し官幣大社になった。

  • 2011年12月5日

    明治時代の名古屋「日露戦争凱旋歓迎」

    明治37(1904)2月に始まった日露戦争は、ポーツマス条約の講和により明治38(1905)の9月に終わった。 日本の勝利を祝う凱旋歓迎会が各地で行われた。写真は東別院境内で行われた凱旋歓迎式の様子。