東海道 四日市宿

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東海道(愛知県~三重県)
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朝明川~茂福神社

朝日町から朝明川を渡ると四日市市に入る。右手に御厨神社をみながら、関西線と並行する東海道をん南下すると、 右手に宝性寺、長明寺が現れる。長明寺は、真言宗の寺院で寺の廻りは堀で囲まれている。
三岐鉄道と関西線の交差を越え、西富田町に向かって進む。西富田町の中心からそれて左手に曲がり、関西線と並行に、 三岐鉄道、近鉄名古屋線のガードをすぎると富田の一里塚跡の碑が右手に現れる。富田の町に入るとすぐに八幡神社が道沿いにある。昔は、東海道五十三次富田立場の西端が八幡の森で、昼でも暗く鬱蒼と樹木が繁っていたと伝えられており境内には力石も残されている。
蓮光寺跡の公園を右手に進み、突き当たりの一本手前の交差点を右手の曲がり、富田の中心部へと入る。 進行方向右手には市立富田小学校、左手側には長興寺や善教寺などがある。 十四川を渡り薬師寺を右手に見ながら進むと、茂福町に入る。道なりに直進すると常照寺付近でT字路に突き当たりそこに力石が置かれている。 T字路を左手に曲がり證園寺前を過ぎ再び右手に曲がる。しばらく直進すると、右手に茂福神社の参道が現れる。300m程奥まった所に 茂福神社が鎮座している。


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  • 朝明川

    朝明川

  • 御厨神社

    御厨神社

  • 長明寺

    長明寺

  • 長明寺

    長明寺

  • 富田の一里塚跡

    富田の一里塚跡

  • 八幡神社

    八幡神社

  • 八幡神社

    八幡神社

  • 富田の中心部

    富田の中心部

  • 長興寺

    長興寺

  • 力石

    力石

志氏神社から三ツ谷の一里塚

東海道は北に近鉄名古屋線、南に国道1号線の間に挟まれた形で羽津町まで平行に走っている。近鉄名古屋線の霞ヶ浦駅と阿倉川駅の間に城山公園があり かつて田原盛宗によって築かれた羽津城があった。現在、羽津城跡の石碑が公園内にある。金場町の手前で東海道は国道1号線へと合流する。海蔵川の手前、多度神社で国道1号線から分かれ三ツ谷の一里塚跡へと向かう。海蔵川を渡ると四日市宿。


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  • 三ツ谷の一里塚跡

    三ツ谷の一里塚跡

  • 三ツ谷の一里塚跡

    三ツ谷の一里塚跡

海蔵川 ~鵜森神社

法泉寺を右手に過ぎ三滝川を越えてすぐ道沿いに「永餅」で有名な笹井屋本舗が現れる。 天文19年(1550年)に笹井屋彦兵衛によって創業された笹井屋は、日永の里で餡入りの餅を焼いて売り始めたのが始まりとされ、 土地の名にちなんでこの餅の名を「永餅」としたといわれている。津の藩主、藤堂高虎の好物であったと伝えられている。
笹井屋すぐそばにある市立中部西小学校のあたりは、かって四日市代官所があったところ。 東海道と交差する国道164号を超えると、道はゆるやかに右に曲がり、角には道標が見える。 このあたりは、戦国時代には南市場と称して市場町として栄え、江戸時代に入ると東海道の宿場町として栄えた。道標をすぎ、クランク状に国道1号線を進み諏訪町北の信号で東海道は右手に折れて諏訪神社前を通る。
諏訪神社は、四日市を守護する神社として「おすわさん」の名で市民に親しまれており 毎年10月は伝統ある四日市祭が行われる。 ここから東海道は、諏訪栄町の商店街の中を通り、近鉄四日市駅前の中央通を超え浜田町まで来ると右手に鵜森神社の参道と交差する。 東海道から400mほど奥まった所に鵜森神社がある。 神社の横には、文明2年(1470年)に築城されたとされる浜田城があったが現在は、鵜森公園として市民の憩いの場となっている。


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  • 法泉寺

    法泉寺

  • 法泉寺

    法泉寺

  • 笹井屋本舗

    笹井屋本舗

  • 笹井屋本舗

    笹井屋本舗

  • 道標

    道標

  • 諏訪神社前

    諏訪神社前

  • 諏訪神社

    諏訪神社

  • 商店街を通る東海道

    商店街を通る東海道

  • 鵜森神社参道

    鵜森神社参道

  • 鵜森神社本殿

    鵜森神社本殿

  • 浜田城跡

    浜田城跡

  • 浜田城

    浜田城

浜田城跡 ~小古曽

浜田町を過ぎ、日永へと進むと大宮神明社がある。日永の入口に位置する。 六月三十日には「輪くぐり」といって茅の輪をくぐると夏負けしないという言い伝えがあり、多くの人でにぎわう。 日永の中心部に入り、大聖院、興正寺を右手にみて両聖寺まで進む。毎年お盆には寺の境内で市の無形文化財の「つんつく踊り」が披露される。
南日永に入り日永神社、西唱寺をすぎ、泊町へと進む。 泊町を過ぎると、東海道と伊勢街道の分れ道「日永の追分」。 道路が拡張される前は伊勢街道の入口に道を跨いで伊勢神宮の二の鳥居が立っていたという。 この鳥居は安永三年(1774)久居出身で江戸にいた渡辺六兵衛が、江戸から京都へ行くとき、ここから伊勢神宮を遥拝するようにと思って立てたもの。 鳥居は皇太神宮の遷宮に合わせて、二十年ごとに建て替えられることとなっていた。今の鳥居は昭和五十年に建て替えられたもので、 最初の鳥居から数えて九番目に立て替えられた鳥居である。
「日永の追分」は、四日市宿と石薬師宿との間にあって「間の宿」と呼ばれ、旅籠が軒を並べ、茶店も多くあったといわれている。
日永の追分を右に分かれ、国道407号線に入る。近鉄追分駅付近で407号線から分かれ左に進む。道なりに進んでいくと、 右手に小古曽(おごそ)神社の参道が現れる。


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  • 大宮神明社

    大宮神明社

  • 両聖寺-お盆には市の無形文化財の「つんつく踊り」が 披露される

    両聖寺-お盆には市の無形文化財の「つんつく踊り」が 披露される

  • 日永神社

    日永神社

  • 日永の追分

    日永の追分

  • 日永の追分

    日永の追分

  • 日永の追分解説

    日永の追分解説

  • 小古曽(おごそ)神社

    小古曽(おごそ)神社

  • 願誓寺

    願誓寺

内部~杖衝坂へ

内部川を渡り国道1号線をまたぐと采女町へと入る。成満寺参道をすぎ、うつべ町角かど博物館を越えるすぐと左手に曲がり、 国道1号とぶつかる1本手前を左に曲がる。このようにクランク状に東海道を進むと杖衝坂の入口が現れる。坂の入り口には金毘羅堂が建つ。この坂は東海道の中でも急坂として有名で「杖突坂」ともいわれている。
日本武尊が東征の帰途、大変疲れ「其地より、やや少しいでますにいたく疲れませるによりて、御杖をつかして、梢に歩みましき、 故其地を杖衝坂といふ」(『古事記』)とあり、その名が称されるようになっとされている。
松尾芭蕉も江戸から伊賀に帰る途中、馬に乗ってこの坂にさしかかったところ、急な坂のため馬の鞍とともに落馬したと言われ、 「歩行ならば杖つき坂を落馬かな」と俳句を詠んだ。また、杖衝坂には「弘法の井戸」、「大日の井戸」の二つの井戸が残されている。
杖衝坂を登ったところに、日本武尊御血塚社という小社があり、東国征伐の帰途、伊吹山の神と戦い傷ついた日本武尊(やまとたけるのみこと)が、 険しい杖衝坂を登り、足が破れて出た血を洗浄したところといわれている。 坂を下り、再び国道1号線と合流した右手に釆女一里塚跡が見え、さらに進むと豊臣神社の赤い鳥居が左手に見えてくる。 もとは、杖衝坂の上にあったので「杖突稲荷大明神」とも呼ばれていました。 しばらく進み四日市市から、鈴鹿市へと入り石薬師宿へと向かう。


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  • 金毘羅堂

    金毘羅堂

  • 杖衝坂の入口

    杖衝坂の入口

  • 弘法の井戸、大日の井戸

    弘法の井戸、大日の井戸

  • 弘法の井戸、大日の井戸

    弘法の井戸、大日の井戸

  • 杖衝坂

    杖衝坂

  • 杖衝坂

    杖衝坂

  • 日本武尊御血塚社

    日本武尊御血塚社

  • 日本武尊御血塚社

    日本武尊御血塚社

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