東海道 池鯉鮒(知立)宿

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【動画】安城・知立・刈谷市の東海道

ここ三河の国八橋は、古くは東海道に沿っていて景勝の地として知られ、 特に「古今集」と「伊勢物語」の在原業平東下りの故事 「からころも  きつつんれにし つましあれば はるばるきぬる たびをしぞおもふ」” かきつばた”の歌により一段とその名声を高めた。準指定区域は 八橋長五輪・町田を中心とした逢妻川の一帯である。逢妻川は 「くもでに流る」と歌枕にのよまれ、これと交差して 古東海道が 走っており、このあたりに往時ゆかりの落田中の一松根上り松・在原寺・ 無量寿寺などがある。 (知立市教育委員会)

安城市の東海道-尾崎の一里塚から明治川神社へ

安城市に入り尾崎東の交差点を右に入り約1.5km行くと尾崎一理塚の碑に隣接して熊野神社の参道へ着く。熊野神社の西側を鎌倉街道が 通り東海道を鎌倉街道が横切って南に進んでいた。
熊野神社から約1.2km東海道を進み、県道76号線を超えた左右に明治用水記念碑と明治川神社がある。都築弥厚が荒地であった安城が原に矢作川から導水しする計画をたて、岡本兵松・伊豫田与八郎らにより明治用水は完成した。
明治川神社には、明治用水建設に功績のあった、都築弥厚・岡本兵松・伊豫田与八郎らが祭神として祀られている。
東海道に残された松林を見て知立市へと進む。


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尾崎一里塚周辺

  • 尾崎一里塚跡と熊野神社

    尾崎一里塚跡と熊野神社

  • 尾崎一里塚の碑

    尾崎一里塚の碑

  • 熊野神社

    熊野神社

  • 熊野神社の西側の鎌倉街道

    熊野神社の西側の鎌倉街道

  • 熊野神社の東側の鎌倉街道

    熊野神社の東側の鎌倉街道

  • 熊野神社の付近の鎌倉街道

    熊野神社の付近の鎌倉街道

明治用水記念碑周辺

  • 永安寺雲龍の松

    永安寺雲龍の松

  • 永安寺雲龍の松

    永安寺雲龍の松

  • 明治川神社

    明治川神社

  • 都築弥厚は、荒地であった安城が原に矢作川から導水しする計画を たて、岡本兵松・伊豫田与八郎らにより完成 した

    都築弥厚は、荒地であった安城が原に矢作川から導水しする計画を たて、岡本兵松・伊豫田与八郎らにより完成 した

  • 明治川神社-明治用水建設に功績のあった、都築弥厚・岡 本兵松・伊豫田与八郎らが 祭神としてまつられている

    明治川神社-明治用水建設に功績のあった、都築弥厚・岡 本兵松・伊豫田与八郎らが 祭神としてまつられている

  • 東海道に残された松林

    東海道に残された松林

元禄道標から無量寿寺へ

明治川神社から約3km来た所、右手にある道標は、在原業平ゆかりの八橋無量寿寺への道しるべとして建てられ「従是四丁半北 八橋業平作観音有」と記されている。
ここで東海道を右に曲り約700m行くと無量寿寺の参道に通じる。無量寿寺の創建は奈良時代で19世紀はじめ頃に再建された。毎年4月末~5月初旬にカキツバタの咲き誇る庭園は有名で、在原業平ゆかりの地をしのばせている。
無量寿寺の南を東西に鎌倉街道が通る。鎌倉街道を北西に進み浄教寺を右手に見て300mほど歩くと在原寺が左手、鎌倉街道沿いに見える。 寛平年間(889~897)に在原業平の菩提を弔うための業平塚が築かれた折、その塚を守る人の御堂として創建されたと伝えられている。
さらに進むと左手に安藤広重に描かれたといわれる「根あがりの松」が威容を誇る。その先約150m,名鉄三河線を超えた右手にあるのが 業平塚と業平供養塔。鎌倉末期に業平を偲んで建てられたといわれている。


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  • 知立宿周辺略図

    知立宿周辺略図

  • 八橋無量寿寺への道標

    八橋無量寿寺への道標

  • 八橋無量寿寺への道標

    八橋無量寿寺への道標

  • 無量寿寺本堂と芭蕉句碑

    無量寿寺本堂と芭蕉句碑

  • 無量寿寺本堂と芭蕉句碑

    無量寿寺本堂と芭蕉句碑

  • 無量寿寺カキツバタ園

    無量寿寺カキツバタ園

  • 無量寿寺カキツバタ園

    無量寿寺カキツバタ園

  • 浄教寺の脇を通る鎌倉街道  

    浄教寺の脇を通る鎌倉街道

  • 浄教寺- 浄土真宗大谷派の寺院で由緒ある古刹、境内にあるスタジイは 市内第一の大きさの価値ある巨木

    浄教寺- 浄土真宗大谷派の寺院で由緒ある古刹、境内にあるスタジイは 市内第一の大きさの価値ある巨木

  • 在原寺

    在原寺

  • 根あがりの松 

    根あがりの松

  • 根あがりの松 

    根あがりの松

  • 業平供養塔

    業平供養塔

  • 業平供養塔

    業平供養塔

来迎寺一里塚から知立宿へ

鎌倉街道の散策を終え、再び東海道へと戻る。
さきほどの道標から約150m行くと来迎寺一里塚。塚の上の樹木は、東海道の塚ではよく見られる榎ではなく松が植えらています。両塚とも完全に遺されており貴重な遺産となっている。
来迎寺一里塚から1kmあまり東海道を進み、衣浦豊田道路を過ぎたあたりから道の両側に松並木が続く。1kmほどあった並木も現在では450mほどになってしまった。
並木の途中左手には馬市の跡の碑が見える。馬市では400~500頭ほどの馬が売られていたと伝えられ広重の浮世絵にも描かれている。
明治になってからは馬市が慈眼寺付近に移された。境内にはその痕跡を残す馬市の跡の碑が建てられている。

松並木を過ぎ、国道1号線を超えると知立(池鯉鮒)宿に入る。知立宿は本陣1軒、旅籠 35軒、家数 292軒、人口 1,620人の比較的小規模な宿場。
県道51号線の中町の交差点を超えたスーパーの駐車場に問屋場が本町には本陣があった。さらに東海道を中町問屋場跡から本町へと約150m進み、三叉路を右に曲がると、左手に知立古城跡の碑が見えてくる。その先の三叉路の正面に了運寺がある。
県道155号線を超えると知立神社の参道が伸びる。知立神社は池鯉鮒大明神とも呼ばれ、三河では屈指の大社で5月~6月にかけて境内に花菖蒲が咲き誇る。
総持寺を左手に見て250m進むと逢妻橋。逢妻川を超え東海道は再び国道1号線へと合流し、鳴海宿へと向う。


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  • 来迎寺一里塚

    来迎寺一里塚

  • 来迎寺一里塚

    来迎寺一里塚

  • 知立の松並木

    知立の松並木

  • 知立の松並木

    知立の松並木

  • 馬市の跡- この一帯では、江戸時代には、馬が数百頭も集まる馬市が開かれていた

    馬市の跡- この一帯では、江戸時代には、馬が数百頭も集まる馬市が開かれていた

  • 慈眼寺- 鎌倉時代創建の曹洞宗の寺院。牡丹がきれいな寺としても知られている

    慈眼寺- 鎌倉時代創建の曹洞宗の寺院。牡丹がきれいな寺としても知られている

  • 馬市の跡の碑(慈眼寺)

    馬市の跡の碑(慈眼寺)

  • 問屋場跡 慶長6年開設された。敷地は135 坪(445平米)、昭和46年取り壊わされた

    問屋場跡 慶長6年開設された。敷地は135 坪(445平米)、昭和46年取り壊わされた

  • 地鯉鮒宿本陣

    地鯉鮒宿本陣た

  • 知立古城跡碑 

    知立古城跡碑

  • 知立古城解説

    知立古城解説

  • 知立神社- 東海道屈指の名社であり、霊験もあらたか。文化財には、多宝塔、古額、 舞楽面などがある

    知立神社- 東海道屈指の名社であり、霊験もあらたか。文化財には、多宝塔、古額、 舞楽面などがある

  • 知立神社多宝塔

    知立神社多宝塔

  • 総持寺 元和二年(1616年)創建、貞享三年(1686年)総持寺と改称、 現在の総持寺はその後大正十五年(1926年) に西町新川に再建された

    総持寺 元和二年(1616年)創建、貞享三年(1686年)総持寺と改称、 現在の総持寺はその後大正十五年(1926年) に西町新川に再建された

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