東海道 岡崎宿

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大平の一里塚と大岡越前の屋敷跡

藤川松林を過ぎると国道1号線に合流、しばらく進み国道1号線から右に入り西へ進むと左手に大平の一里塚が現れる。
塚の大きさは高さ2.4m、横幅6.7m、縦右7.3m、縦左8.5mでひし形をしており、榎が植えられている。 現在は両塚のうち南塚だけが残っており国指定の史跡となっている。
大平の一里塚から北西へ約200mほど入ったところにあるのが大岡越前の屋敷跡。この屋敷は大岡越前守忠相が寛延元年(1748年)、一万石の大名となった際、西大平藩の領地を治めるために置いた陣屋(政庁兼居所)。明治の廃藩置県まで7代にわたって大岡家が西大平藩を治めており現在は門のみが復元されている。


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  • 大平の一里塚南塚-塚の規模は、高さ2.4m、底部の縦7.3m、 横8.5mの菱形

    大平の一里塚南塚-塚の規模は、高さ2.4m、底部の縦7.3m、 横8.5mの菱形

  • 大平の一里塚南塚から北塚を見る

    大平の一里塚南塚から北塚を見る

  • 大岡越前の屋敷跡

    大岡越前の屋敷跡

  • 大岡越前の屋敷跡

    大岡越前の屋敷跡

岡崎宿二十七曲その1

大平の一里塚から東海道を1.6km行くと欠町・二十七曲の碑が建っている。ここから八帖町までの間の城下町をクランク状に曲がりながら東海道は走っている。
欠町・二十七曲の碑から南西約360mに位置する若宮八幡の境内には、家康の長男 松平信康の墓が祀ってある。 信長の娘である徳姫と結婚した信康が、織田信長に謀反の疑いをかけられたため、父家康によってやむなく切腹を命じられた霊を弔っている。
一方、若宮八幡と東海道を挟むように北東約1kmに位置する八柱神社の境内には築山殿(駿河御前)の首塚が祀られている。今川義元の姪である築山殿は、徳川家康の正室。桶狭間の戦い後、信長に謀反の嫌疑をかけられ、長男 松平信康の切腹とともに殺害された。
徳川家康の生誕地、岡崎宿は本陣3、脇本陣3、家数 1,565、旅籠112、宿場人口6,494人の規模を誇っていた。
欠町にはじまる二十七曲は若宮町、両町を通り伝馬町に合流する。伝馬町には、本陣跡、脇本陣跡、西本陣跡が並ぶ。
本陣跡を過ぎ、伝馬通1丁目の交差点を左に曲り、一本目を右に折れた約150m右にあるのが旧岡崎銀行本店。大正6年(1917)に旧岡崎銀行本店として建てられた。昭和25年(1950)に岡崎商工会議所として改修され、昭和51年(1976年)まで会議所会館として使用されていた。 現在は岡崎信用金庫資料館として公開されている。


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  • 岡崎宿略図

    岡崎宿略図

  • 二十七曲のはじまり

    二十七曲のはじまり

  • 二十七曲

    二十七曲

  • 若宮八幡本殿

    若宮八幡本殿

  • 若宮八幡-織田信長に謀反の疑いを かけられ切腹した家康の長男 松平信康は若宮八幡境内の墓に眠る

    若宮八幡-織田信長に謀反の疑いを かけられ切腹した家康の長男 松平信康は若宮八幡境内の墓に眠る

  • 八柱神社 

    八柱神社

  • 八柱神社-今川義元の姪で徳川家康の正室築山殿は、 信長に謀反の嫌疑をかけられ殺害され八柱神社に首塚がある

    八柱神社-今川義元の姪で徳川家康の正室築山殿は、 信長に謀反の嫌疑をかけられ殺害され八柱神社に首塚がある

  • 本陣・脇本陣跡の解説

    本陣・脇本陣跡の解説

  • 随念寺

    随念寺

  • 随念寺

    随念寺

  • 善立寺

    善立寺

  • 善立寺

    善立寺

  • 専福寺

    専福寺

  • 専福寺

    専福寺

  • 今はコンビニになっている西本陣跡 

    今はコンビニになっている西本陣跡

  • 岡崎信用金庫資料館-大正6年、岡崎銀行本店として建てられ、 戦後、商工会議所として使われた。現在は金融機関の資料館。

    岡崎信用金庫資料館-大正6年、岡崎銀行本店として建てられ、 戦後、商工会議所として使われた。現在は金融機関の資料館。

岡崎宿二十七曲その2

資料館を過ぎ、康生通を左へ東海道と反対側に曲り150m先の国道1号線を名古屋方面に約500mほど行くと岡崎公園がある。公園の入口付近に、義経を慕い菅生川に身を投げた浄瑠璃姫の慰霊塔が祀ってある。
公園に入り南へ進むと岡崎城の天守閣が見える。岡崎城は、1542年に徳川家康が生まれた城。家康の父 松平広忠が家臣の謀反で殺害され、岡崎城は今川家の属城となったが、桶狭間の戦いで今川義元が敗死し、ようやく家康は岡崎城を取り戻すことができた。
関ヶ原の戦い後は徳川譜代の本多康重が5万石の城主となり、岡崎を治めた。
乙川は岡崎市を流れる矢作川最大の支流、毎年8月に盛大な花火大会が行われることでも有名だ。
殿橋を渡った乙川の対岸にある龍海院は、享禄3年(1530年)徳川家康の祖父 岡崎城主松平清康により創建された曹洞宗の寺院である。
再び東海道の二十七曲に戻って進み、康生通に入って北に進み、連尺通を左折し、本町通を通り過ぎ、さらにクランク状にまがり材木町へと進む。
材木町3丁目から東海道を離れ、北に約350m行くと松応寺に着く。現在はアーケードとなっている参道を通り本堂をめざす。桶狭間の合戦後、岡崎城主となった家康は、非業の死を遂げた父 松平広忠の菩提のため松応寺を建立した。
二十七曲の終わり八帖町にあるのが八丁味噌の郷。八丁味噌は、三河武士も兵糧として持ち歩いた、固くて色の黒い濃厚な豆味噌。八丁味噌カクキューは、史料館を併設し、八丁味噌の歴史を紹介している。
二十七曲も終わり、若き日の秀吉が野武士の蜂須賀小六と出会ったとされる矢作大橋跡へと行く。


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  • 浄瑠璃姫の慰霊塔

    浄瑠璃姫の慰霊塔

  • 浄瑠璃姫の慰霊塔

    浄瑠璃姫の慰霊塔

  • 岡崎城大手門

    岡崎城大手門

  • 岡崎城-1542年に徳川家康が生まれた城。桶狭間の戦い後、 家康は岡崎城を取り戻した

    岡崎城-1542年に徳川家康が生まれた城。桶狭間の戦い後、 家康は岡崎城を取り戻した

  • 船着場跡の石碑 

    船着場跡の石碑

  • 岡崎最古といわれる菅生神社

    岡崎最古といわれる菅生神社

  • 花火大会会場の乙川河畔

    花火大会会場の乙川河畔

  • 松平清康により創建された龍海院

    松平清康により創建された龍海院

  • 松応寺参道-桶狭間の合戦後、家康は、非業の死を遂げた父  松平広忠の菩提のため建立した

    松応寺参道-桶狭間の合戦後、家康は、非業の死を遂げた父 松平広忠の菩提のため建立した

  • 松平弘忠の菩提寺 松応寺 

    松平弘忠の菩提寺 松応寺

  • 八丁蔵通り

    八丁蔵通り

  • 八丁味噌カクキュー

    八丁味噌カクキュー

  • 6トンもの味噌を仕込む木樽 

    6トンもの味噌を仕込む木樽

  • 矢作川越しに岡崎の町を望む

    矢作川越しに岡崎の町を望む

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