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- ❾ テレビ塔リニュアル
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- ⓫ 進捗する久屋大通公園再整備
- ⓬ 光安名古屋市住宅都市局長に聞く
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*このシリーズは、久屋大通公園(北エリア・テレビ塔エリア)の整備事業の進捗を中心に名古屋栄地区をハードおよびソフト面でインタビュー形式で紹介する企画です。2020年7月まで、約1ヶ月ごとに発信し栄地区の魅力をお届けします。*
第5回目として、山盛康 名古屋市緑政土木局河川部河川計画課長、松葉秀樹 名古屋市上下水道局 施設部長、山田好人 名古屋市緑政土木局緑地部部長にお話を伺いました。
江戸時代、名古屋台地の東側の低地を流れていた精進川は、川筋が蛇行し洪水の原因ともなっていたので、明治16年(1883)運河に改修する計画が立てられました。精進川の川筋を利用して新堀川が開削され明治43年(1910)に竣工。開削によって出た土砂は、工場の造成や名古屋市初の公園鶴舞公園の建設に使われ、公園完成直後の明治43年(1910)には、名古屋開府300年にあわせて第10回関西府県連合共進会が開催されました。大正時代を通じて、新堀川は水上輸送路として活用されましたが、昭和時代に入ると自動車の普及によりその役割が小さくなりました。現在は、新堀川両岸にはマンションが建設され都心に通じる風の道、水の道としての役割が重視されています。
新堀川は水源がなく、また都市化の進展により増加した汚水を、一部はし尿運搬船で海上投棄したものの、ほとんどは下水管(1912年供用を開始)を通して新堀川に放流していました。このため水質が極端に悪化し、名古屋市はこの対策に迫られ堀留処理場と熱田処理場の建設が持ち上がります。堀留処理場は、我が国で初めて活性汚泥法(下水に空気を吹き込み、微生物の働きで水の汚れをとる方法)の採用を決定。熱田抽水場で実験を繰り返した後、活性汚泥法による下水処理場の建設が開始され、昭和5年(1930)に完成しました。堀留処理場の完成によりし尿と汚水を処理することが可能になり新堀川浄化につながりました。
戦後の高度成長期、汚水量の著しい増大により施設の拡充が急務とされました。都心の立地ということもあり、久屋大通公園の一部(現フラリエ)の地下に新処理場の建設が始まり、昭和48年(1973)に完成。平成20年(2008)に堀留水処理センターと名称を変更し現在に至っています。
若宮大通は戦後復興のシンボルとして久屋大通とともに100m道路として建設された。中央帯にグリーンベルトを設け防災地帯としての役割のみならず都市景観にも配慮され設計されています。その後、中央帯にグリーンベルト上に名古屋高速2号東山線が建設され、現在高架下には、スポーツ施設などがあり雨天を気にせず利用できる空間として、若者を中心に利用されていいます。また、旧堀留処理場と丸田町JCTの区間の地下には、若宮大通調節池が昭和57年度~昭和61年度にかけて建設され、大雨による新堀川の増水や洪水などを防ぐ効果があり都心の安全を支えています。