大須・橘町周辺 1610年~2015年

江戸時代の名古屋城下町地域

江戸時代の名古屋城下町

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現在の大須・橘町周辺

現在の大須・橘町周辺

歴史

名古屋の城下町が出来た当初、広小路(当時は堀切筋)から南は城下町の郊外といえる地域でした。 大小の寺院がいくつも建てられて南寺町を形成していました。広小路本町の南東角には獄舎もありました。 尾張徳川家の二代目藩主徳川光友は、この地域の活性化を図り橘町(名古屋城下南端)にあった刑場(キリシタンも処刑された)の移転や 芝居の興行を認めました。さらに、七代藩主徳川宗春が遊郭の新設や芝居小屋の増設を許可して積極的な経済政策を実行したことで、大須界隈は名古屋の一大歓楽街となりました。

明治、大正、昭和時代に入っても大須には芝居小屋、映画館などが軒を連ねて夜遅くまでにぎわいました。 昭和時代の半ばを過ぎたころから、栄のにぎわいとは対照的に大須の商店街の衰退が始まりました。 若宮大通で栄地区からの人の流れが分断されたことや、地下鉄の開通などが影響したともいえます。 たくさんあった映画館や芝居小屋も姿を消してゆきました。

大須の活性を取り戻す動きが1970年代後半におこり、大須大道町人祭の開催や第1・第2アメ横ビルの完成で再びにぎわいを取り戻しました。これに加えて現在ではメイド喫茶やアイドルカフェなどのカウンターカルチャー 発信の場ともなっています。寺院が点在するなかでアナログ的なアーケード街を歩きながら買い物をする 魅力は大須ならではのものといえます。

寺院の紹介

大須観音

正式名称は真福寺宝生院。江戸時代初期に現在の羽島市の大須から移転されました。国宝の古事記写本を始め15000冊のをが大須文庫に所蔵されています。2月3日には節分会が行われ、本堂前に桟敷から『福は内、福は内』と発します。鬼面が寺宝であるため、『鬼は外』は禁句でとなっています。毎月18日28日の縁日には骨董市が開催されています。

万松寺

1540年、織田信秀(信長の父)により織田家の菩提寺として、現在の名古屋城の南に建立されました。1610年、名古屋城築城にあたり、城下町建設のため大須に移転されました。現在、万松寺周辺には家電店やパソコンショップが集まり日本三大電気街の一つとして知られています。本堂の3階部分壁面に設置された織田信長のからくり人形の実演が行われています。

真宗大谷派名古屋別院

1690年、尾張藩第2代藩主・徳川光友より古渡城の跡地約1万坪の寄進を受けて建立されました。明治時代初期には愛知県庁の仮庁舎となったこともあります。1945年の空襲で焼失しましたが、1966年に本堂が再建されました。毎月28日には、てづくり朝市が開かれています。

栄国寺

名古屋城下の南端にあたる栄国寺周辺は、江戸時代初期は千本松原刑場として使用されていた。二代目藩主徳川光友の時代を迎えると、周辺には民家も建ちはじめ刑場は土器野(どきの)に移転されました。刑死者の菩提を弔うために建立されたのが栄国寺です。キリシタンも多く処刑されたため境内にはキリシタン塚があります。また、キリシタン関連の歴史資料が展示された切支丹遺蹟資料館も併設され、一般に公開されています。

恒例の催事とまつり

大須春まつり

4月第一土曜・日曜/大須観音・万松寺境内ほか

地元小学生による大須太鼓の披露の他、地元アイドルのステージも行われます。

馬の塔 子どもみこし

5月第2日曜日/大須商店街

地元の子供たちが馬の頭のお御輿を担いで、身体健康を祈念しながら商店街を練り歩きます。

世界コスプレサミット・コスプレパレード

8月上旬第一日曜/大須観音、大須商店街全域

アニメやゲームに関するショップが集まるオタクの街として知られる大須に、 世界のコスプレイヤーたちが集結し、パフォーマンスを繰り広げます。

大須夏まつり

8月の第一土曜・日曜/大須観音、大須商店街全域

サンバ・コスプレパレード、盆踊り大会、手筒花火などが行われます。

大須大道町人祭

10月中旬土曜・日曜(名古屋まつりと同一日に開催)

大道芸の大イベント、大須大道町人祭。ジャグリングや舞踏、パントマイム、ガマの油売りなどの大道芸が披露されます。祭りの呼び物は「おいらん道中」、市民からの公募された花魁がねり歩きます。

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