碁盤割地区  1610年~2015年

江戸時代の名古屋城下町地域

江戸時代の名古屋城下町

バナー広告募集中  問合せ----info@network2010.org

現在の碁盤割地区

現在の碁盤割地区 

歴史

徳川家康は名古屋城の南を京都にならって碁盤の目のように四角く区画しました。碁盤割と呼ばれいます。家康は町人をそのなかに住まわせ、碁盤割のまわりに武家の住居を配置、さらに区画の中心には寺院を置いて町人の生活を監視させました。名古屋で茶道や華道など内向きの文化が発展したのも家康の都市計画が一員かも知れません。

本町通は碁盤割の中心を通っています。特に美濃路と分岐する現在の伝馬町本町交差点付近は名古屋城下の中心で旅館などはなかったものの、美濃路の名古屋宿を形成していました。伝馬会所や高札場もおかれ明治時代の中頃までは、名古屋の商業、金融の中心地として栄えました。

美濃路と分岐して北へ進むと現在の桜通と交差します。桜通は名古屋駅が笹島から現在地に移転するときに名古屋駅~大津通間(1937開通)までつくられました。この年は名古屋にとってはメモリアルな年で、名古屋汎太平洋平和博覧会の開催や東山動植物園開園など多くのインフラ整備がおこなわれました。

外堀道に面した名古屋東照宮と那古野神社は、江戸時代には名古屋城内三之丸にあり、明治維新を迎え陸軍の兵舎等の建設のため現在地に移転されました。東照宮の祭礼は戦前まで名古屋まつりと呼ばれた名古屋最大の祭礼でしたが、戦災で山車を焼失し山車の引き回しは中止されています。

ゾーン4の恒例イベント・祭り

名古屋東照宮祭

4月16日・17日/名古屋東照宮

4月17日は徳川家康の命日。その霊を弔うため毎年4月16日と17日に名古屋東照宮祭が行われます。かっては、名古屋城から若宮八幡近くまで神輿や山車の行列を行っていましたが、戦災で山車が焼失したため戦後は中止されました。現在は、4月16日に境内の舞台で舞楽の奉納を行っています。

那古野神社例大祭

7月15・16日/那古野神社

那古野神社例大祭(三之丸天王祭)は、東照宮祭・若宮まつりと共に名古屋三大祭に数えられた歴史ある祭。江戸時代には若宮まつりと同日に開催され、祇園まつりとも呼ばれていました。かっては、二輛の車楽(だんじり)が城内に置かれましたが、戦災で焼失しました。現在は茶屋町の車楽を境内に飾っています。7月16日には、神輿行列が本町通を通り若宮神社と那古野神社を往復しています。

長者町ゑびす祭り

11月中旬土曜・日曜/長者町界隈

長者町は、名古屋城築城とともに町名をそのままに清洲から移転されました。戦後は、大小の繊維問屋が軒をつらねて日本三大繊維問屋街に挙げられていました。最近は繊維産業の衰退もあり地域活性化のため2001年より、この祭りをスタートさせました。その効果もあって現在ではおしやれな飲食店やブティックなどが店舗を構えるようになっています。あいちトリエンナーレの会場の一つとしても使用され、アートあふれる街への変貌への挑戦が始まっています。

このページの先頭へ