沢井鈴一の「俗名でたどる名古屋の町」第8講 バンコ長屋から榊の森 第1回「バンコ長屋」

バンコ長屋

昔ながらのたたずまいの町の情景が、日々に姿を変えてゆく。久しぶりに訪れた町の変貌に驚くことが、しばしばある。円頓寺の例をもちだすまでもなく、町の移り変わりは、ここ二、三年の間、特に顕著だ。

開発という名のもとに、町は破壊されてゆく。一度、破壊された町は、二度ともとのたたずまいを、取りもどすことはできない。

破壊されてゆくのは、町の外観だけではない。人々のくらし向きも変わってしまった。 NHKドラマで、かつて「名古屋仏壇屋物語」が放映された。名古屋の下町を背景に、仏壇屋とその家族の生活を描いたドラマだ。名古屋の下町にくらす人々のくらしぶりが画面の中からよくうかがうことができた。善意にあふれた人々の人情の機微と下町の情景がドラマの中心をなしていた。

テレビに映し出された仏壇屋の人々のくらす町は、中区長岡町(現平和二丁目)だ。格子づくりの中二階の長屋がつづく長岡町の通りは、いかにも人情ドラマの背景にふさわしい。仏壇屋の町といえば、大須や橘町だ。しかし、二つの町もマンションが建ったり、飲食店が軒を並べたりして、仏壇屋の町というイメージから、かけ離れた町となっている。昔ながらの下町の情緒が、もっとも濃厚に残っている町として、長岡町でロケが行なわれたのであろう。

昔の佇まいを残す長岡町のバンコ長屋

昔の佇まいを残す長岡町のバンコ長屋

長岡町は、通りをはさみ中二階建ての長屋が続いている。正面三尺幅ほどの庇屋根が付けられ、中二階の窓は背が低くなっている。格子窓の昔ながらのたたずまいの長屋が通りをはさんで並んでいる。 中二階建ての家は、二階建ての家にくらべて、正面が三・四尺ほど低くなっている。裏側の軒高は平屋の高さである。側面からみれば「へ」の字型だ。この中二階建ての屋根型をバンコ造り(バンコ建て)という。

『新修名古屋市史』によれば、四日市の萬古焼の猫こたつの型と同じ型であるところからバンコ造りと呼ばれるようになったという。 長岡町の通りを歩いてゆく。中二階建ての長屋の中央部分に、幅一間ほどの通路がある。中二階の下をくぐってゆくと閑所がある。 閑所は袋小路のことだ。閑所の中には、共同井戸があったが、今はみることができない。長屋の主婦たちは、共同井戸で、時代劇にでてくるように、世間話に花を咲かせていたことであろう。

閑所に縁台を持ち出して、将棋をさしている人もいる。閑所は子どもたちの絶好の遊び場でもあった。 閑所を出て、通りに出るとかつて屋根神さまが祀られていた家がある。屋根神さまは、いかにも下町の守り神であるという感じだ。しかし、その屋根神さまも、今では一つもこの町には残っていない。屋根から下ろされた屋根神さまが祀られていた跡は駐車場になっている。

閑所を中心として、人々の濃厚な人間関係が残っている町が長岡町だ。ここには、かつての名古屋の町のいたる所にみられた、下町の原風景がある。しかし、早晩この風景もみられなくなるだろう。通りを出ると、ネオンもきらびやかなラブホテルがそびえている。

地図


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