江戸時代

  • 2011年12月5日

    江戸時代の名古屋城下「有松絞り店」

    有松は、慶長13年(1608)に尾張藩により設置された。竹田庄九郎らによって誕生した有松絞りは、尾張藩の特産品として保護され東海道を往来する旅人により街道一の名産品とうたわれた。

  • 2013年12月27日

    尾張名所図会 東照宮祭山車曳き

    江戸時代を通じて、東照宮祭は亀王天王社(現在の那古野神社)の天王祭、若宮八幡社の若宮祭とならんで名古屋三大祭とされていた。なかでも東照宮祭は戦前まで、名古屋最大の祭りとして親しまれた。 江戸時代、三之丸の東照宮から本町通を下り...

  • 2012年9月6日

    小牧・長久手の戦い「尾張名所図会 長久手古戦場」

    天正10年(1582)から信長の子の織田信雄が尾張を領国とし、清須城を居城として尾張を 支配していたが、豊臣秀吉と対立し、小牧・長久手の合戦が起こる。 天正12年(1584)3月13日、豊臣秀吉軍は、犬山城を攻略して、清須を...

  • 2012年8月17日

    尾張名所図会と美濃路「清洲宿」

    慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いに勝利した徳川家康は、四男の松平忠吉を尾張藩の当主として清須に派遣し尾張の藩都とした。 松平忠吉は若くして世を去り、家康は九男の甲府藩主 徳川義直を尾張藩主として任命し清須に送った。 清須は五条川...

  • 2012年8月16日

    尾張名所図会と碁盤割「伝馬会所(本町通・美濃路)」

    碁盤割とは、徳川家康によって東西は久屋通から堀川、 南北は広小路から外堀通にいたる区域を京の碁盤割にならい 碁盤の目に区画された地域を指す。 家康は、ここを町人の住居とした。区画の中心の空き地には 寺院を配し住民の監視に当たらせた...

  • 2012年8月15日

    尾張名所図会と美濃路「南寺町」

    徳川家康は名古屋城下を防備するため 西、南、東に寺町を建設した。 堀切筋(のちの広小路)の南から橘町にいたる本町通(美濃路)沿いに 大小の寺院が建設され南からの敵の侵入に備えた。 現在の白川公園周辺には中小の寺院が密集して寺院群を...

  • 2012年8月15日

    尾張名所図会と美濃路「熱田宿から南寺町へ」

    美濃路の起点は名古屋市熱田区伝馬1丁目、東海道と分岐する追分に始まる。 東海道はここで南東方向に直角に折れ、七里の渡し場(神戸方面)に向かい、美濃路は北西方向に曲がり熱田神宮に至り名古屋城下へと続く。この追分の正面には、戦後まで上...

  • 2012年8月15日

    尾張名所図会「佐屋街道 佐屋渡し 津島追分 万場の渡し」

    佐屋街道は、宮宿と桑名宿を結ぶ東海道の脇往還として明治時代初頭まで 非常に賑わった。 岩塚、万場、神守、そして佐屋宿と四つの宿場を経て佐屋「三里の渡し」で 佐屋川を下り桑名宿へといたる。 佐屋川は江戸時代中期より土砂の堆積が進み、...

  • 2012年8月9日

    尾張名所図会「法界門橋と萱津神社」

    日本武尊が東征の帰途,萱津に立ち寄り、里人の出した「塩つけもの」を食べ 大変喜ばれたと伝えられている。 「塩つけもの」は、海水から作った塩と野菜を神前の瓶に入れたもので、 漬物の起源と言われている。 萱津神社は漬物の神様と...

  • 2012年7月31日

    尾張名所図会「甚目寺観音」

    597年、伊勢国甚目村の漁師龍麿という者が尾張国の入り江で投網をしていたとき、 金色の聖観音像を引き上げ、入り江のかたわらに草堂を建て観音像を安置し、 自らの姓氏をとり甚目寺(はだめでら)と名付けたのが寺の創建にまつわる伝承と...