江戸時代

  • 2012年2月2日

    江戸時代の名古屋城下「尾張津島天王祭 試楽(宵祭)」

    旧津島5ヶ村の今市場(いまいちば)、筏場(いかだば)、下構(しもがまえ)、堤下(とうげ)、米之座(こめのざ)から5艘のまきわら船が 出され 天王川に浮かびます。 まきわら船に飾り付けられる半円・山型の提灯の数は365個あり、提灯の...

  • 2012年2月2日

    江戸時代の名古屋城下「尾張津島天王祭 朝祭(本祭)」

    一夜明けての朝祭には、宵祭りとは飾り付けをガラリと変えた5艘の船に、朝祭りの主役である旧市江村の市江車を加えた6艘の車楽船(だんじりぶね)が 登場します。 車楽船の屋台上には能の演目を表現した人形が飾られます。宵祭に参加した5艘中...

  • 2011年12月4日

    江戸時代の名古屋城下「建中寺本堂」

    慶安4年(1651),第二代目尾張藩主徳川 光友が、父の藩祖義直の菩提を弔うため に建立した。以後、尾張藩主の菩提寺となる。徳川家霊廟は県指定有形文化財、総門、 三門、鐘楼、御成門・本堂・経堂・開山堂 ・源正公廟は市指定有形文化財...

  • 2011年12月4日

    江戸時代の名古屋城下「茶屋町伊藤呉服店」

    慶長16年(1611)、織田信長の家臣伊藤源左衛門祐道が名古屋の本町で呉服小間物商を始めた。その後、万治2年(1659)祐道の遺児・祐基が茶屋町に呉服小間物問屋を開業。「現金売り正札付き掛け値なし」の商法は庶民の支持を受けた。明和...

  • 2011年12月4日

    江戸時代の名古屋城下「東照宮祭」

    東照宮祭礼は四月十五・十六日に行われ、十六日には山車や三基の神輿(みこし)が加わった総勢4000人を超える行列が名古屋城を出て本町通を下り末広町の御旅所へ向かった。名古屋三大祭りのなかでも最大の規模を誇っていた。

  • 2012年4月25日

    江戸時代の名古屋城下「梵天祭(丸の内)」

    宝暦13年(1763)に、名古屋で流行した祭。一般民衆が中心となって、おそろいの頭巾を被ったり、 おそろいの衣装を着けたり、おそろいのお面を着けたりして行列した。 夜祭には大仕掛けな造り物が出される。この図は三十三所の観音を模...

  • 2011年12月4日

    江戸時代の名古屋城下「魚の棚通」

    堀川東岸の木挽町、久屋町筋(東西を走る道を筋と呼んだ)には魚を売る店が多く魚の棚と呼ばれていた。東照宮の祭礼の十六日には見物客相手に弁当などを販売した。家ごとに提灯を掲げ、芸妓が赤たすきで手伝っている。 (モノクロの尾張名所図会を...

  • 2011年12月5日

    江戸時代の名古屋城下「本町通三丁目」

    本町通は、名古屋城と熱田を結ぶ基幹道路として名古屋城築城とともに誕生した。碁盤割と呼ばれる城下を碁盤の目のように区画された中心を南北にはしり、本町通三丁目は碁盤割の中心部に位置していた。 毎年二月二十五日には桜天満宮祭礼が開かれ...

  • 2011年12月4日

    江戸時代の名古屋城下「桜天満宮」

    本町通は、名古屋城と熱田を結ぶ基幹道路として名古屋城築城とともに誕生した。碁盤割と呼ばれる城下を碁盤の目のように区画された中心を南北にはしり、本町通四丁目を南に下ると碁盤割の南端広小路に交差する。名古屋城下でもっとも賑やかな地域で...

  • 2011年12月5日

    江戸時代の名古屋城下「本町通四丁目」

    本町通は、名古屋城と熱田を結ぶ基幹道路として名古屋城築城とともに誕生した。碁盤割と呼ばれる城下を碁盤の目のように区画された中心を南北にはしり、本町通四丁目を南に下ると碁盤割の南端広小路に交差する。名古屋城下でもっとも賑やかな地域で...