江戸時代

  • 2011年12月5日

    江戸時代の名古屋城下「伝馬会所」

    美濃路はここで西に折れ本町通と分岐する。本陣や脇本陣はなかったが、伝馬町本町交差点の南東角に公用人馬の取次所である伝馬会所がおかれた。「札の辻」とよばれる高札場や丸栄百貨店の前身十一屋も店舗を構えていた。また現在の国道19号線に沿...

  • 2012年4月27日

    江戸時代の名古屋城下「本町六丁目 小見山宗法店」

    紀州和歌山の浅野幸長の家臣であった小見山家は、幸長の娘春姫が尾張藩祖徳川義直に嫁いだのをきっかけに尾張藩に随行した。 後に、尾張藩医となった小見山宗法は、尾張藩の筆頭の薬屋として繁盛した。

  • 2011年12月4日

    江戸時代の名古屋城下「東山春興」

    名古屋城下の東にある東山では、春のひとときを三味線音色を飲食しながら楽しんだ。

  • 2011年12月5日

    江戸時代の名古屋城下「東寺町」

    徳川家康は名古屋城下を防備するため 西、南、東に寺町を建設しました。その 一つ東寺町は駿河町を起点とする 飯田街道(駿河街道)に交差する禅寺町筋と 法華寺町筋に沿って寺院群が構成されていた。北は現在の桜通、南は瓦 町あたりまでに...

  • 2012年2月7日

    江戸時代の名古屋城下「医学館薬品会」

    尾張名所図会 医学館薬品倉。尾張藩の侍医を勤める浅井家は、医学館という医学塾をつくり医師の試験も行っていた。医学館では毎年六月十日に万国の物産や動物を公開し、多くの見物人が集まった。

  • 2011年12月5日

    江戸時代の名古屋城下「広小路本町夕景」

    徳川家康は名古屋城下建設時、名古屋城の南の区域を碁盤の目のように区画し「碁盤割」と呼んだ。広小路ができる前は堀切筋と呼ばれ道幅三間(3.64m)の狭い道であった。万治3年(1660)万治の大火と呼ばれる大火事が発生し城下町の大半を...

  • 2011年12月5日

    江戸時代の名古屋城下「広井三蔵」

    福島正則は小田原の北条攻めに出陣し兵糧不足を経験した。その教訓から清州城内に三つの大きな食糧庫を建設した。 清州越しで藩都が名古屋に移ると、納屋橋の南の堀川東岸に米蔵を建設し尾張藩の官倉とした。倉の数は以前より増したが、昔どおり...

  • 2011年12月5日

    江戸時代の名古屋城下「洲崎神社」

    その昔入海であったので洲崎神社・牛頭天王社にちなみ天王崎と呼ばれた。対岸の左手前に法蔵寺の八角堂が見える。

  • 2011年12月5日

    江戸時代の名古屋城下「南寺町寺院群(白川公園あたり)」

    十王堂、隆正寺、光明寺、願故院、寿経寺、誓願寺、養林寺、大林寺、芳春院、西光院、法應寺、西光院、仙昌院、宝珠 院、大運寺、尋盛寺、瑞宝寺、法蔵寺、徳林寺などの寺があったが、太平洋戦争末期に市内各所に移転され、戦後は進駐 軍の宿...

  • 2011年12月5日

    江戸時代の名古屋城下「若宮八幡宮」

    八世紀初頭に名古屋城三の丸の地に創建されたと伝わる。天王社(現在の那古野神社)に隣接していた。慶長15年(1610)に名古屋城築城のため現在地に移転。例祭である若宮祭は名古屋東照宮の東照宮祭、天王社の天王祭とならんで 名古屋三大...