制作状況
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2014年3月27日
名古屋城築城とともに、福島正則によって開削された堀川は、朝日橋の南の堀留が終着点でした。名古屋城の水は辰之口水道大樋を通り堀川に流れていました。 堀留を南下して、五条橋、中橋、伝馬橋を下り納屋橋にいたります。五条橋には津島街道、...
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2014年3月17日
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2014年3月14日
沢井鈴一の「名古屋の町探索紀行」第19講 御用水跡街園 第7回「『ざーざー橋』の位置が変わった──昭和の改修」
猿投橋で黒川はザーザーと音をたてて流れ落ちている。川底が三メートルほどの段差になっているからだ。段差の下では、大きな鯉がいつも群れている。 犬山から名古屋へ行き来していた舟は、この落差をどうやって上り下りしていたのだろうかと不思議...
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2014年2月28日
沢井鈴一の「名古屋の町探索紀行」第19講 御用水跡街園 第5回「御用水・黒川を錦に彩る──染色工業地帯」
名古屋は全国有数の繊維産業が盛んな地域であり、とりわけ北区には多くの紡績・織物工場があった。織物にはさまざまな色や模様をつける。染めた糸を織ったり、織りあがった布を染めたりして色や模様をつくりだす。染色は実用品としての布を、使う人...
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2014年2月21日
沢井鈴一の「名古屋の町探索紀行」第19講 御用水跡街園 第4回「『彩紅紅雲』清流に花ともみじ──大幸川」
今では姿を消した川、大幸川。かつて北区の用水や排水につかわれ、今の黒川(堀川)の一部にもなった川である。 はるか昔、庄内川や矢田川は上流から土砂を運んできて下流部で堆積し、海であった所が少しずつ陸地になっていった。川岸には自...
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2014年2月14日
沢井鈴一の「名古屋の町探索紀行」第19講 御用水跡街園 第3回「乗合馬車が走る黒川岸──犬山街道」
黒川東岸の御用水跡街園は散策路として親しまれ、散歩やジョギングを楽しむ人の姿が多い。対岸は車も通ることができる道だが、桜の季節以外には人も車も少ない静かな裏道だ。車は平行している辻本通を走りぬけ、都心や春日井へと向っている。この静...
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2014年2月9日
2014年2月8日、2018年に向けての整備計画の一つ、名古屋城のにぎわいの施設の正式名称が名古屋市公館で行われた「名古屋城プレミアムトークステージ 第4弾」の第二部の ネームングディスカッションで決定しました。 第一部では...
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2014年2月7日
沢井鈴一の「名古屋の町探索紀行」第19講 御用水跡街園 第2回「お堀や巾下水道へ水を──御用水跡街園」
堀川(黒川)に沿って夫婦橋から猿投橋まで、御用水跡街園が続いている。 このあたりの堀川は、市内ではめずらしい草生えの土手が残り、小魚をねらってコサギなどの鳥が集まり、時には「清流の宝石」カワセミの姿も見かける。さながらふるさとの...
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2014年1月31日
名古屋城を紹介するスマホサイト 「スマホで見よう!名古屋城」公開開始!
Network2010を運営する特定非営利活動法人ビジュアルコンテンツプロダクトネットワーク(NPO VCPN)は、 このたび名古屋城総合事務所と連携して、スマートフォンで名古屋城の情報を発信するサイト 「スマホで見よう!名古屋城...
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2014年1月31日
沢井鈴一の「名古屋の町探索紀行」第19講 御用水跡街園 第1回「マダム貞奴──川上絹布跡」
過ぎし昔の夢なれや 工女工女と一口に とかく世間のさげすみを うけて口惜しき身なりしが 文化進める大御代の 恵みの風に大道を なみせる古き習しや 思想を漸く吹き払い この歌は、川上貞(芸名・貞奴)が大正七年(一...