制作状況
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2014年1月24日
沢井鈴一の「名古屋の町探索紀行」第18講 三階橋より水分橋 第9回「黒川に水を分ける橋──水分橋」
明治九年、黒川が掘削されると、その掘り上げられた土でもって犬山街道が造られた。街道に橋が架けられたのは明治十一年の四月。鉄筋コンクリートの橋になったのは昭和十八年の十一月のことだ。橋の長さは二百五メートル、幅は十一メートルである。...
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2014年1月21日
名古屋城本丸御殿復元を提唱し、今年で満20年を迎える「名古屋城 文化フォーラム」は、毎年春に「春姫道中」を開催し、 本丸御殿の早期復元に向けた気運盛り上げに取り組んでいる。 平成26年1月19日午後1時より、本丸御殿玄関・表書院...
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2014年1月17日
沢井鈴一の「名古屋の町探索紀行」第18講 三階橋より水分橋 第8回「舟が通った庄内用水──元杁樋門」
北区の楠と守山区を結んで、水分橋がかかっている。水を分ける橋‥‥ずいぶん変わった名前である。橋のすぐ上流には、ダムのような物がある。市内ではここにしかない珍しいものだ。 橋の北では八田川が庄内川に流れ込んでいる。南では堤防に...
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2014年1月13日
2014年1月12日、名古屋城本丸搦手石垣修復工事の現場見学会が行われた。普段は工事のため立ち入り禁止となっている、本来は濠の一部になっている工事現場で、名古屋市職員や学芸員が、解体された石の前で石の刻印や墨書、矢穴や復元工事の説...
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2014年1月10日
沢井鈴一の「名古屋の町探索紀行」第18講 三階橋より水分橋 第7回「一粒でも多くの米を──巨大井戸の掘削」
庄内用水元杁樋門のすぐ下流に、巨大な井戸がある。井戸の直径は六メートル、井筒の高さは三メートルというジャンボサイズだ。たぶん、名古屋で一番大きな井戸ではないだろうか。所々コンクリートの表面がはがれて中の鉄筋が赤錆びた姿をのぞかせ、...
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2014年1月3日
沢井鈴一の「名古屋の町探索紀行」第18講 三階橋より水分橋 第6回「輪中の里──栄橋」
三階橋を渡り、矢田川の堤防を東に歩いて行く。小さな祠が祀ってある。疫病から人々を護るという天王社の祠だ。矢田川の堤防上には、信号がないから車がひっきりなしに往来している。車道の際にある祠に、わざわざ危険を冒して参りに来る人はいない...
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2014年1月2日
2014年の年も明けた、1月2日名古屋城正門前で尾張万歳の披露が行われたのち午前9時に2014年の初開門が 行われた。正門では名古屋おもてなし武将隊の一同が並び多くの来場者を出迎えた。
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2013年12月27日
江戸時代を通じて、東照宮祭は亀王天王社(現在の那古野神社)の天王祭、若宮八幡社の若宮祭とならんで名古屋三大祭とされていた。なかでも東照宮祭は戦前まで、名古屋最大の祭りとして親しまれた。 江戸時代、三之丸の東照宮から本町通を下り...
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2013年12月27日
沢井鈴一の「名古屋の町探索紀行」第18講 三階橋より水分橋 第5回「石山寺道──下街道」
石山寺の東の細い道を北に歩いてゆく。寺のコンクリート塀の北側に新しい道ができている。この広い道は、寺の裏で行き止まりになっている。 塀に面して小さな石柱が立っている。標識のようだ。字が摩滅していて、よく読めない。少し距離を置いて標...
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2013年12月20日
2002年4月に設立された、特定非営利活動法人ビジュアルコンテンツプロダクトネットワーク(VCPN)は2013年1月、任意団体として活動していたNetwork2010の事業を引き継ぐことになりました。2013年の主な取材活動を御報...