アーカイブス

  • 2012年4月27日

    江戸時代の名古屋城下「本町六丁目 小見山宗法店」

    紀州和歌山の浅野幸長の家臣であった小見山家は、幸長の娘春姫が尾張藩祖徳川義直に嫁いだのをきっかけに尾張藩に随行した。 後に、尾張藩医となった小見山宗法は、尾張藩の筆頭の薬屋として繁盛した。

  • 2012年4月25日

    江戸時代の名古屋城下「梵天祭(丸の内)」

    宝暦13年(1763)に、名古屋で流行した祭。一般民衆が中心となって、おそろいの頭巾を被ったり、 おそろいの衣装を着けたり、おそろいのお面を着けたりして行列した。 夜祭には大仕掛けな造り物が出される。この図は三十三所の観音を模...

  • 2012年4月19日

    明治時代の名古屋「裁断橋」

    東海道の宮宿の東を流れていた精進川(現在の新堀川)に架けられた橋。明治43年(1910)に河川改修により川筋が変わり 大正15年(1926)には埋立られて原型は残っていない。

  • 2012年4月18日

    明治時代の名古屋「日本車両製造株式会社」

    明治29年(1896)9月に鉄道車両の製造販売を目的として設立された。現在は鉄道車両、建設機械、特装車、橋梁、農業用プラントなどの 製造を行っている。

  • 2012年4月18日

    明治時代の名古屋「熱田兵器製作所」

    明治37(1904)に東京砲兵工廠熱田兵器製造所として発足、大正12年(1923)に名古屋工廠熱田兵器製造所となる。 主に観測車、弾薬車、山砲、航空機用機関砲、そして大戦末期には風船爆弾の気球部分も製造した。

  • 2012年4月18日

    明治時代の名古屋「名古屋瓦斯工場」

    明治39年(1906)に、奥田正香らによって現在の東邦ガスの前身、名古屋瓦斯が設立された。名古屋瓦斯は翌明治40年(1906)に開業し、 市内に初めてガスを灯用として供給した。開業当時、名古屋瓦斯の工場は精進川(新堀川)沿いに...

  • 2012年4月18日

    明治時代の名古屋「三重紡績株式会社」

    明治19年(1886)に渋沢栄一らの援助を受けて伊藤伝七が三重紡績株式会社を創立。 明治38年(1904)に尾張、名古屋両紡績会社を合併し三重紡績名古屋工場となる。 大正3年(1914)大阪紡績と三重紡績が合併して東洋紡績株式...

  • 2012年4月17日

    明治時代の名古屋「名古屋博覧会(東別院)」

    明治7年(1874)の5月1日から6月10日の会期で名古屋博覧会が開催された。好評のため会期は10日延長された。

  • 2012年4月17日

    明治時代の名古屋「名古屋高等工業学校」

    明治38年(1905)に東京・京都・大阪についで創立された工業学校。土木・機械・建築・紡織・色染の5学科が設置された。 昭和24年(1949)に昭和18年(1943)に新設された愛知県立高等工業学校と合併して名古屋工業大学となっ...

  • 2012年4月10日

    昭和初期の名古屋「昭和12年頃の徳川園徳川園航空写真」

    徳川園は、二代目尾張藩主徳川光友公の隠居所として造営されたのが始まり。 二代目尾張藩主光友没後、成瀬、渡辺、石河ら家臣(尾張藩重臣)たちに分割して下屋敷の用地として渡された。 昭和6年(1931)、屋敷の部分を名古屋市に寄付さ...