アーカイブス

  • 2012年4月4日

    大正時代の名古屋「荒子観音寺」

    天平元年(729)に泰澄大師が開基、天平13年(741)に弟子の自性上人が自性上人が堂宇を整えた。 創建当時は現在の北西にある高畑町にあった。多宝塔は名古屋市最古の木造建築物で国の重要文化財に指定されている。 また、遊行僧の円空作...

  • 2012年4月3日

    昭和初期の名古屋「東築地の渡し」

    昭和12年に開催された名古屋汎太平洋平和博覧会により新設された旧港新橋(開き橋)が出来るまでは東築地から名古屋港へと堀川に渡しが運航されていた。写真は渡し便を待つ乗客。

  • 2012年4月3日

    昭和初期の名古屋「熱田神宮鎮皇(ちんこう)門」

    熱田神宮の西門あたりにあったが、戦災で焼失。現在でも5月05日には、神輿渡御神事の神輿(みこし)が、本宮から正参道・南門を経て 鎮皇門跡の西門まで進み、遥かに皇居(京都御所)を望み、皇室の御安泰と国家の隆昌を祈念する祭典が行なわ...

  • 2012年4月3日

    昭和初期の名古屋「堀川 大瀬古橋」

    堀川最南端に架かる橋。橋を熱田側に渡ると、かっては江戸時代から続いた大瀬古の魚市場があった。

  • 2012年4月3日

    昭和初期の名古屋「白鳥貯木場」

    白鳥貯木場は、名古屋城築城のため設けられ、太夫堀と呼ばれる大池に築城用の木材を貯木した。 明治時代初頭に、いったん民間に払い下げられたが、後に国に買い戻された。明治40年(1907)、名古屋港が開港し、外材の輸入も増加し、 ...

  • 2012年4月3日

    昭和初期の名古屋「堀川 尾頭橋」

    堀川に架かる尾頭橋は、福島正則による堀川開削当時からある、堀川七橋の一つ。堀川の最南端にあったため台風などで何度も流され 江戸時代に何度も架け替えられたので新橋とも呼ばれた。また、本町通から分岐した佐屋街道もこの橋を通っている。

  • 2012年4月3日

    昭和初期の名古屋「堀川 改修前の古渡橋」

    堀川に架かる古渡橋は、福島正則による堀川開削当時からある、堀川七橋の一つ。写真は昭和の名残を残す木橋時代の古渡橋。

  • 2012年4月3日

    昭和初期の名古屋「東本願寺別院」

    真宗大谷派名古屋別院は、元禄3年(1690)に一如上人より開かれた。尾張藩主徳川光友公は織田信長の父信秀の居城「古渡城」の跡地1万坪を寄進し、 本堂などが建造された。明治時代の一時期には、愛知県庁が置かれたこともあり、また境内で...

  • 2012年4月3日

    昭和初期の名古屋「本町通橘町一丁目より南を見る」

    江戸時代の初頭、橘町周辺は千本松原と呼ばれるほど松が一面に生茂る、名古屋城下の南端であった。木戸が設けられ、本町通を通って熱田神宮に 参詣する客は、盗賊を恐れ橘町の茶店に荷物を預けたと語られている。本町通の路地を西に入った所にあ...

  • 2012年4月3日

    昭和初期の名古屋「本町通橘町一丁目より北を見る」

    江戸時代の初頭、橘町周辺は千本松原と呼ばれるほど松が一面に生茂る、名古屋城下の南端であった。木戸が設けられ、本町通を通って熱田神宮に 参詣する客は、盗賊を恐れ橘町の茶店に荷物を預けたと語られている。本町通の路地を西に入った所にあ...