【動画】那古野神社天王祭
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那古野神社天王祭 神輿渡御
戦国時代に今川氏(当時の所領)に築かれた那古野城は、享禄5年(1532)織田信長の父、織田信秀により奪還され居城となりました。三之丸天王社(現在の那古野神社)と若宮八幡社は、那古野城築城以前から那古野城の南西周辺に隣接して鎮座していました。
関ケ原の戦いの後、徳川家康の命で名古屋城の築城が決定し、三之丸天王社は城内に残り、西隣に東照宮が 建立されました。若宮八幡社は、城外に移転され現在地に新築されました。このため江戸時代には天王祭と若宮祭は同じ日に行われ、祇園祭と呼ばれていました。三之丸天王祭には、二輛の車楽(だんじり)が曳き出され、最盛期には見舞車16輛も祭礼に参加しました。
徳川幕府が崩壊し明治維新を迎えると、祭りは衰退し明治9年(1876)に、三之丸に名古屋鎮台が置かれるにいたり、三之丸天王社は東照宮とともに、城外の藩校跡に移転されました。この翌年から、祭礼は中断し明治25年(1892)に神輿二基を新調し、那古野神社から若宮八幡社を往復する神輿渡御が行われることになりました。
地図
より大きな地図で 那古野神社天王祭 神輿渡御進路 を表示
写真
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那古野城跡(名古屋城二之丸)
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名古屋城築城前の位置
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名古屋城築城後の天王社位置
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名古屋城築城後の若宮八幡社位置
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明治9年(1876)に東照宮とともに移転
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明治末期の神輿渡御経路
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天王祭り図(尾張名所図会)
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車楽(だんじり)-15日宵宮
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那古野神社拝殿 16日朝祭当日
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出発前の拝礼
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本町通を南下、若宮八幡社へ
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本町通を南下、若宮八幡社へ
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本町通を南下、若宮八幡社へ
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桜通本町
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錦通本町へ
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広小路通本町
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若宮八幡社前(若宮大通
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若宮八幡社拝殿
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若宮八幡社拝殿前
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那古野神社へ戻る
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錦通本町
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河文から那古野神社へ
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那古野神社へ到着
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参加者全員で手締め