那古野神社天王祭 2014年7月15・16日

【動画】那古野神社天王祭

INDEXへ
九代玉屋庄兵衛氏に聞く
犬山祭4月初旬
武豊町 長尾春祭り4月中旬
常滑神明社・常石神社春の例祭4月中旬
亀崎潮干祭5月初旬
徳川園山車揃5月初旬
若宮まつり5月中旬
西枇杷島祭6月初旬
筒井町 天王祭6月初旬
出来町天王祭6月初旬
那古野神社天王祭7月
大足蛇車まつり7月下旬
挙母祭り 本楽10月
戸田祭 本祭10月
花車神明社祭10月中旬
鳴海八幡宮例大祭・成海神社例大祭10月中旬
三谷祭蒲郡市
宵の山車揃 2014年10月18日
名古屋開府400年祭-大山車まつり
第七回 はんだ山車まつり

 

那古野神社天王祭 神輿渡御
那古野神社天王祭 神輿渡御

戦国時代に今川氏(当時の所領)に築かれた那古野城は、享禄5年(1532)織田信長の父、織田信秀により奪還され居城となりました。三之丸天王社(現在の那古野神社)と若宮八幡社は、那古野城築城以前から那古野城の南西周辺に隣接して鎮座していました。
関ケ原の戦いの後、徳川家康の命で名古屋城の築城が決定し、三之丸天王社は城内に残り、西隣に東照宮が 建立されました。若宮八幡社は、城外に移転され現在地に新築されました。このため江戸時代には天王祭と若宮祭は同じ日に行われ、祇園祭と呼ばれていました。三之丸天王祭には、二輛の車楽(だんじり)が曳き出され、最盛期には見舞車16輛も祭礼に参加しました。
徳川幕府が崩壊し明治維新を迎えると、祭りは衰退し明治9年(1876)に、三之丸に名古屋鎮台が置かれるにいたり、三之丸天王社は東照宮とともに、城外の藩校跡に移転されました。この翌年から、祭礼は中断し明治25年(1892)に神輿二基を新調し、那古野神社から若宮八幡社を往復する神輿渡御が行われることになりました。

地図


より大きな地図で 那古野神社天王祭 神輿渡御進路 を表示

写真

  •  那古野城跡(名古屋城二之丸)

    那古野城跡(名古屋城二之丸)

  •  名古屋城築城前の位置

    名古屋城築城前の位置

  •  名古屋城築城後の天王社位置

    名古屋城築城後の天王社位置

  •  名古屋城築城後の若宮八幡社位置

    名古屋城築城後の若宮八幡社位置

  •  明治9年(1876)に東照宮とともに移転

    明治9年(1876)に東照宮とともに移転

  •  明治末期の神輿渡御経路

    明治末期の神輿渡御経路

  •  天王祭り図(尾張名所図会)

    天王祭り図(尾張名所図会)

  •  車楽(だんじり)-15日宵宮

    車楽(だんじり)-15日宵宮

  •  那古野神社拝殿 16日朝祭当日

    那古野神社拝殿 16日朝祭当日

  •  出発前の拝礼

    出発前の拝礼

  •  本町通を南下、若宮八幡社へ

    本町通を南下、若宮八幡社へ

  •  本町通を南下、若宮八幡社へ

    本町通を南下、若宮八幡社へ

  •  本町通を南下、若宮八幡社へ

    本町通を南下、若宮八幡社へ

  •  桜通本町

    桜通本町

  •  錦通本町へ

    錦通本町へ

  •  広小路通本町

    広小路通本町

  •  若宮八幡社前(若宮大通

    若宮八幡社前(若宮大通

  •  若宮八幡社拝殿

    若宮八幡社拝殿

  •  若宮八幡社拝殿前

    若宮八幡社拝殿前

  •  那古野神社へ戻る

    那古野神社へ戻る

  •  錦通本町

    錦通本町

  •  河文から那古野神社へ

    河文から那古野神社へ

  •  那古野神社へ到着

    那古野神社へ到着

  •  参加者全員で手締め

    参加者全員で手締め

to page top