連載
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2013年1月18日
沢井鈴一の「名古屋の町探索紀行」第12講 味鋺界隈 第7回「雷除の神社──西八龍社」
東日本大震災の例をとるまでもなく自然の猛威の前には、人間はなす術を知らない。科学が発達し、あらゆることが解明されたかに見える現代でも、人間の無力を嘲笑うかのように、自然は猛威をふるい災害をもたらす。自然を畏怖する心から、自然を敬う...
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2013年1月11日
沢井鈴一の「名古屋の町探索紀行」第12講 味鋺界隈 第6回「森の中の記念碑──忠魂社」
味鋺神社を出て、庄内川の堤防下の道を真っ直ぐ西にむけて歩いてゆく。すこし歩くとこんもりと茂った森が見えてきた。森の中に何があるだろうか、興味を持って森をめざして歩いて行った。 森の中には小さな神社があった。鳥居の傍らに皇紀二...
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2013年1月4日
沢井鈴一の「名古屋の町探索紀行」第12講 味鋺界隈 第5回「天平の鴟尾──護国院」
新川中橋を渡り、庄内川の堤防道路を水分橋にむけて車を走らせる。庄内川の水が、ゆったりと流れていく。遠く堤防の上から眺める庄内川の流れは、とどまっているのか、流れているのかわからないようなゆるやかな速度だ。しかし、川辺にたたずんで水...
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2012年12月28日
沢井鈴一の「名古屋の町探索紀行」第12講 味鋺界隈 第4回「夫婦椿──味鋺神社」
平成十五年十月一日、味鋺神社の縁起を記した立札の除幕式が行われた。味鋺神社は『延喜式』の「神名帳」に記されている由緒ある神社である。立札には、延喜五年(九〇五)に勅をうけて調査が始められ、延長五年(九二七)に国の神社として指定され...
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2012年12月21日
沢井鈴一の「名古屋の町探索紀行」第12講 味鋺界隈 第3回「通路になった社──東八龍社」
「私は味鋺に移ってきてから三十年になります。今年、八十になりますが、毎日、家でじっとしているのも辛いので、この東八龍社に来て境内の草とりをしています。見てください。そこにも犬の糞がすててあるでしょう。庄内川の堤防からの細道が神社の...
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2012年12月14日
沢井鈴一の「名古屋の町探索紀行」第12講 味鋺界隈 第2回「薮から出てきた神獣鏡――白山薮古墳址」
保育園の庭から、子供たちのにぎやかな笑い声が聞こえてくる。子供たちは、片時もじっとしておれないようだ。かしましいこと、このうえもない。かつて、この保育園の地は、一面の薮におおわれていた。薮の下には古墳が埋もれていた。味鋺百塚と呼ば...
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2012年12月7日
沢井鈴一の「名古屋の町探索紀行」第12講 味鋺界隈 第1回「無限の慈悲のほほえみ──首切地蔵」
新地蔵川を渡り、庄内川に向けて歩いて行く。橋を渡ると四辻に出る。四辻の西北の地に、二つの祠が建っている。東の祠にはお地蔵さま、西の祠には味鋺神社から迎えたお礼が祀られている。 ここに祀られているお地蔵さまは、他の地にあるお地...
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2012年11月30日
沢井鈴一の「名古屋の町探索紀行」第11講 柳原から土居下 第7回「弁天様の社──深島神社」
深島神社は、もとは弁才天、あるいは深島弁才天とも呼ばれていた。 深島は、柳原の西北にある、この地の古い地名。弁才天は七福神の一として福徳賦与の神として信仰されている女神である。江の島、宮島、竹生島、大和の天の川、宮城の金華山...
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2012年11月23日
沢井鈴一の「名古屋の町探索紀行」第11講 柳原から土居下 第6回「八重一重(やえひとえ)咲き乱れたる──柳原御殿址」
長栄寺の南の地に、江戸時代、八代藩主宗勝の第六子松平藤馬の豪壮な邸宅があった。世の人々は、この屋敷を柳原御殿と呼んでいた。広大な庭には、山あり、池あり、四季おりおりの花に彩られていた。特に春の桜の見事さ は圧巻であった。 柳...
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2012年11月16日
沢井鈴一の「名古屋の町探索紀行」第11講 柳原から土居下 第5回「徳高き活仏の寺──長栄寺」
国道四一号線をはさみ、豪潮寺と呼ばれる寺が東側の大杉の地と西側の柳原の地にある。柳原の豪潮寺は長栄寺のことである。 長栄寺は、もともとは愛知郡東郷町諸輪にあった寺で、養老年間(七一七~七二三)に泰澄が建てたものである。野間の...