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伊勢神宮にいたる伊勢街道は何本かのルートがあるが、ここで紹介する伊勢街道は中山道から 関ケ原で分岐し養老山麓の東側を通り桑名宿で東海道と合流するルート。三重県では美濃街道ともいわれている。
伊勢街道 関ケ原町
中山道関ケ原宿の関ケ原駅前あたりで伊勢街道が始まり鳥頭坂に向かう。鳥頭坂は、関ケ原の戦いで敵中を突破した薩摩軍のしんがりを務めた島津豊久が討ち死にした場所。
追分から南東に下った県道56号線の東に関ケ原の戦いで本多忠勝が陣をはった史跡が残っている。県道を越え新幹線のガード下をくぐりしばらく行った道の合流点に鳥頭坂追分地蔵が建てられている。鳥頭坂追分地蔵を越え旧石津町(現在大垣市)に入る。
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鳥頭坂から山門へ
名神高速の高架下の坂を下る途中の右手の丘に島津豊久の墓所がある。島津豊久は、敗走する伯父の島津義弘の撤退を助けるため義弘の身代わりとなって戦死した。
坂の途中を左手に折れて伊勢街道を進むと馬頭観音がある。この先の急坂を上り石津町門前の集落へ入る。 入口付近にある木曽神社は木曽義仲を祀っており、「義仲の 寝覚めの山か 月かなし」と刻まれた芭蕉句碑が建てられている。
門前の中ほどに秋葉神社の灯篭が伊勢街道の東側に建っており、その前の細い路地を南西に進んだ国道365号線沿いに宝聚院の本堂が見える。再び伊勢街道を進み一色に入る手前に八幡神社がある。
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牧田宿
一色を過ぎると牧田宿の入口あたりに馬頭観音がある。牧田宿は、中山道の関ケ原宿へ一里(約3.927キロ)、今須宿へ二里、牧田川沿いにある烏江、栗笠、舟附の「濃州三湊」まで三里の立地にあり、伊勢街道、巡礼街道(谷汲山へ向かう)、美濃の中道などが通る交通の要衝として江戸時代に栄えた。
五井五兵衛(東五井家)と五井勘右衛門(西五井家)によって問屋場が仕切られていた。宿の中心の枡形付近には西五井家、東五井家、杉田家が屋敷を構えていた。東五井家の一角にある郵便局跡の建物は、大垣市の景観遺産に登録されている。
東五井家の前を右手に折れ大神宮、金比羅大権現の常夜灯の脇を左に曲がり二又へ進む。
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二又から山村、乙坂へ
二又で伊勢街道は、養老山系の東側を通り桑名へすすむ伊勢東街道と一之瀬、上石津、員弁を通り四日市にすすむ伊勢西街道に分かれる。この分かれ道のある場所から二又の語源がつけられたといわれている。 ここでは伊勢東街道を山村方向へ進む。山村へ入り素盞鳴神社の鳥居前を通り、左手奥に林正寺を見て牧田川の北岸を名神高速道路に沿って進み、乙坂を越えて牧田川を渡ると養老町の沢田に至る。
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