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伊勢神宮にいたる伊勢街道は何本かのルートがあるが、ここで紹介する伊勢街道は中山道から 関ケ原で分岐し養老山麓の東側を通り桑名宿で東海道と合流するルート。三重県では美濃街道ともいわれている。
養老町沢田から石畑
牧田川を渡り養老町沢田地区に入った所にある真泉寺の境内には江戸時代の彩色動植物図譜で、沢田周辺の動植物が描かれている碑が建てられている。
養老町桜井地区の伊勢街道周辺にある白鳥神社の前をみゆき街道が通っている。現在養老山麓の東海遊歩道として親しまれている街道は、日本武尊が傷を負って尾張方面へ引揚げた道といわれている。すぐ先の枡形の角に道標と常夜灯が建っている。真源寺は真宗大谷派の寺院。
養老町上方の妙円寺は浄土真宗 本願寺派の寺院。妙円寺の横の坂を上った白鳥神社に通じる階段の前を東海遊歩道が通っている。竜泉寺まで来ると六社神社が右手に見える。六社神社のムクノキの大木は岐阜県指定天然記念物に指定されている。
了福寺の門前を過ぎ養老町石畑方面へ進む。往時の面影を偲ばせる街道の町並みを見て浄誓寺まで来る。その先の常夜灯を過ぎ養老公園へ進む。
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養老公園周辺の史跡と養老町鷲巣
養老公園の周辺には多くの史跡が点在する。大菩提寺(大悲閣)は西美濃三十三霊場の第二十四番目札所。境内には、当芸野(たぎの)日本武尊史跡の碑が建っている。元正天皇行幸遺跡は霊亀3年(717) 元正天皇行幸の際、この地を訪れ多度山の美泉を飲んだところ、たちまち病が癒えたといわれている。 美泉は菊水泉とも養老の滝とも云われている。
養老寺は孝子源丞内が開いた寺といわれる寺院。 境内には孝子源丞内のものとされる墓がある。養老神社の境内には今も湧きでる清水があり、孝子源丞内が 汲んで老父にすすめ酒になったという伝説の水とも言われている。菊水泉と名付けられ現在でも多くの 参詣者に汲まれている。有名な養老の滝は、高さ約30m、巾約4mあり岩角をうつてとうとうと流れ落ちる。
養老公園を下り伊勢街道に戻る。養老鉄道養老駅前を過ぎ踏み切りを越えてしばらく進んだ伊勢街道の北側に真宗大谷派の専明寺がある。このあたりから伊勢街道は南に下り養老町鷲巣を離れ小倉へ進む。
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養老町小倉~養老町小倉一色
養老町小倉に入ると高札場跡の道標が見える。小倉の中心部を通り過ぎ伊勢街道の東側にある福勝寺を見て観音寺を過ぎ、養老町一色にある西林寺を過ぎると養老町から海津町へ入る。
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宝暦の治水と薩摩義士
養老町を含む木曽三川流域の輪中(わじゅう)地帯は、度重なる水害に悩まされてきた。木曽三川の川底の高さは、木曽川・長良川・揖斐川の順に低く増水すると揖斐川の方へ流れてきて大きな被害をもたらした。
宝暦三年(1753)、江戸幕府は薩摩藩に治水工事を命じた。幕府の無理難題に反対もあったが薩摩藩家老平田靱負(ゆきえ)を頭に工事は開始された。
大勢の犠牲を強い、また藩の財政を圧迫するなか工事が進められ遂に完成にいたった。しかし、工事の総奉行である平田靱負はその責任を負い自刃した。養老町にも工事で命を落とした多くの薩摩義士の墓がある。
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