「尾張津島天王祭」は津島神社の祭礼として500年以上もの歴史を持つ川祭りです。祭りは数ヶ月にわたって様々な儀式や神事を経て、7月の第4土曜日・日曜日に天王川で行われる宵祭と朝祭でクライマックスを迎えます。
建速須佐之男命(牛頭天王)を奉る祭礼
津島神社 楼門前「尾張津島天王祭」は京都の祇園祭、博多祇園山笠と同じく建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)を奉る祭礼です。建速須佐之男命は疫病・災厄除けの神様で、夏に疫病が流行しないように祈願する祭りとして、この時期にそれぞれ行われていると考えられています。
津島神社の祭神である建速須佐之男命は神仏習合思想によって牛頭天王(ごずてんのう)と同一視されており、津島神社はかつて津島牛頭天王社と呼ばれていました。津島神社は全国に約3千社ある津島神社・天王社の総本社です。
宵祭
旧津島5ヶ村の今市場(いまいちば)、筏場(いかだば)、下構(しもがまえ)、堤下(とうげ)、米之座(こめのざ)から5艘のまきわら船が出され天王川に浮かびます。
まきわら船に飾り付けられる半円・山型の提灯の数は365個あり、提灯の数は1年をあらわしています。まきわらの中心から縦に伸びる真柱(まばしら)には月をあらわす12個の提灯が掲げられています。
車河戸から御旅所に向かって1艘づつまきわら船が丸池に入ってくる午後8時頃、津島神社からの迎えの使者が車河戸で待機している5艘のまきわら船へと向かいます。迎えを受けた5艘の船は午後8時45分頃、順番に出船。津島笛の音を響かせながら丸池へとゆっくり姿をあらわします。船は水面をゆうゆうと進み御旅所へと向かいます。
御旅所は天王川公園北端にあり、宵祭・朝祭を御神覧される神輿が津島神社から遷座しています。この遷座を「神輿渡御(みこしとぎょ)」といい、宵祭日の午前中、津島神社から御旅所へと行列をなして神輿が運ばれます。この神輿が津島神社から外に出るのはこの時だけとなっています。
提灯で浮かび上がる5艘のまきわら船は一艘づつ御旅所前に接岸し、町衆の代表らが一年の疫病・災厄除けを願って御旅所にて参拝します。
朝祭
朝祭りの主役を演じる市江車. 写真左奥には津島5車の車楽船一夜明けての朝祭には、宵祭りとは飾り付けをガラリと変えた5艘の船に、朝祭りの主役である旧市江村の市江車を加えた6艘の車楽船(だんじりぶね)が登場します。
車楽船の屋台上には能の演目を表現した人形が飾られます。宵祭に参加した5艘中、先頭を行く当番車には必ず「高砂」が乗り、その他の4艘は毎年人形が変わります。
先頭の市江車には布鉾を持った10人の若者が締め込み姿で乗り込んでいます。神社の使者による迎えを受けると布鉾を持った10人は天王川へと次々に飛び込み、御旅所まで泳ぎ渡り、神社まで走って、神前に布鉾を奉納します。この奉納された布鉾のしずくを患部につけると病気やケガが治るという言い伝えがあります。
御旅所から津島神社へと「神輿還御」の行列がつづく午前10時頃、6艘の車楽船が御旅所に到着し、各船に乗っていた6人の稚児らが上陸し終わると、御旅所の神輿を津島神社にかえす「神輿還御」が行われます。
御神体の戻った本殿にて稚児による神前奏楽が執り行われると朝祭が終了します。
神葭流し神事
朝祭の終了後の深夜、社殿に奉斎されていた古い神葭(みよし)を天王川に流す「神葭流し神事」がひっそりと実施されます。神葭流し神事は尾張津島天王祭の本質ともいえるもので、一年間人々の祈願を受けた神様の依代である神葭を川に流し、疫神を流すという御霊会(ごりょうえ)の儀式を伝える古式の神事でもあります。新しい神葭は津島神社本殿に納められ、一年間人々の祈願を受けます。