蒲郡の歴史と観光
蒲郡市の歴史
明治11年(1878)、宝飯郡蒲形村と西之郡村が合併し、それぞれ上の字と下の取って蒲郡という地名になりました。
竹島前に立っている藤原俊成の銅像この地と関わりの深い歌人 藤原俊成は、百人一首で有名な藤原定家の父であり、千載和歌集の選者としても知られています。久安元年(1145)から三河の国の国司を務め、温暖なこの地を気に入り開発したと伝えられています。竹島を眺めるように藤原俊成の銅像が建てられています。
織田家と今川家が三河・尾張両国の覇権を争っていた時代には、蒲郡は松平家、鵜殿家ともに今川の勢力下に置かれていました。
しかし、今川義元が桶狭間で織田信長に討ち取られると、蒲郡の勢力地図は大きく塗り替えられ、今川義元の妹の子であった上ノ郷城主鵜殿長照を除く諸将は、織田信長と手を結んだ徳川家康の配下となり上ノ郷城を攻め落としました。上ノ郷城はその後、徳川家康の生母・伝通院の再婚相手 久松俊勝、松平康元、池田輝政と城主が変わり、後に廃城となりました。現在、上ノ郷城跡の発掘作業が進められています。
蒲郡市の観光
潮干狩りで賑わう竹島蒲郡市は渥美半島と知多半島に囲われた海辺の観光地で、海岸線沿いに4つの温泉郷(三谷温泉、蒲郡温泉、形原温泉、西浦温泉)があり、三河湾国定公園にも指定されています。
竹島とその周辺の海岸は東海地方屈指の保養地として多くの人々に親しまれており、大正・昭和期には志賀直哉、谷崎潤一郎ら多くの文人が蒲郡の海や竹島を作中に描いています。竹島は毎年約3万人が潮干狩りに訪れており4月中旬から6月上旬は多くの潮干狩り客で賑わいを見せます。竹島周辺には海辺の文学記念館や竹島水族館、生命の海科学館、蒲郡市博物館などの施設があります。
観覧車から見たラグナ マリーナ. 中部地区最大規模の係留施設を誇り、ヨットやクルージングなどマリンスポーツが楽しめる竹島から東に移ると複合型マリンリゾート施設「ラグーナ 蒲郡」があり、海のテーマパークやショッピングモール、マリンレジャーなど多様な楽しみ方が選べます。
蒲郡市西側の形原温泉は6月、約5万株のあじさいが咲き誇る「あじさいの里」に毎年約10万人の観光客が訪れています。期間中は臨時バスの運行、夜間ライトアップが実施され昼間と違ったあじさいの表情を楽しむことができます。
形原温泉そばの三ヶ根山スカイラインでも6月になると沿道に約7万本のあじさいが咲き揃います。