八丁味噌の郷 カクキュー(岡崎市)
※以下の文章は上の動画から書き起こした内容です。
かつて使われていた八丁味噌の看板― 「八丁味噌」の由来
大きく分けると赤味噌と白味噌に分かれます。白味噌というのは京都の西京味噌、信州味噌などで赤味噌は仙台や九州にある色の濃い味噌です。
豆味噌は赤味噌に分類され、愛知県の赤味噌は豆味噌の一部ということになります。豆味噌の中でも風味の違いや水分の違いによって三州味噌、尾張味噌と呼ばれていました。この地方から豆味噌を江戸によく出荷しており、どの三州味噌がおいしいのかと聞かれた時、早川の三州味噌、太田の三州味噌が良いと評判を呼び、両方ともたまたま八丁村で生産されていたので「八丁味噌」と呼ばれたと伝えられています。
― 「八丁味噌」の特徴
日持ちのいい、また固くて水分が少ない八丁味噌は、携帯に便利で握って腰に付けることができ、兵糧として三河武士に重宝されていました。
八丁味噌が東海地区で盛んになったという理由は、東海地方は夏暑く冬寒い、米味噌は夏場の暑さで腐ってしまう。ほかには大豆というのはどんな土地でもできますが、米はできません。京都の公家などはふんだんに米を使って白いうまい味噌をつくることができた。また江戸でも将軍さまのお膝元ということで米も豊富にあった。一方この地方は尾張藩の領地で米も不足していたので大豆だけで味噌ができないかと考えた。
ところが大豆だけで造った時に熟成の仕方が米とは違うものですから長期間かかる。それがうまく風土に合い、上質な豆味噌が作られるようになったと。私は後者の説が正しいように思います。
固く水分が少ないのが特徴の八丁味噌― 八丁味噌の味を守る
豆味噌文化が今注目されています。米味噌にはない「うまみ」が豆味噌にはあります。ただ甘み、香りは米味噌にくらべて少ない。独特の長期熟成した「うまみ」成分が非常に注目を浴びているので、引き合いは結構あります。ただ、名前は全国的に知られていますが規模としては小さな会社なので出来る量は限られています。全国的な引き合いが集中すると対応しきれなくなってしまいますし、それに対応しようとすると本来の八丁味噌の味が出なくなっていまういます。非常に申し訳ないんですが引き合いに対し全てに対応できないのが現実です。会社としてのジレンマはありますが、味は守っていかなくてはいけないと思っています。
取材:2007年