昭和初期

  • 2012年3月13日

    昭和初期の名古屋「大須仲店」

    大須観音境内に通じる歓楽街。映画館や劇場、遊技場や飲食店が軒をならべていた。

  • 2012年3月13日

    昭和初期の名古屋「大須観音」

    正式名称は「北野山真福寺宝生院」、真言宗の寺院。元弘3年(1333)に現在の羽島市の大須郷に僧能信が創建したのが始まり。 慶長17年(1612)に徳川家康の命令で犬山城主の成瀬正茂によって現在地に移転した。『古事記』の最古写本をは...

  • 2012年4月3日

    昭和初期の名古屋「松重閘門」

    昭和5年(1930)、名古屋港と笹島駅を運河で結ぶ目的で行われた中川運河の整備が完了しした。一方、堀川と中川運河の 連絡をはかるため1mの水位差を調整するため松重閘門が造られた。昭和51年(1976)輸送手段だ陸運にかわり使用が...

  • 2012年3月13日

    昭和初期の名古屋「大須表参道」

    西大須交差点から大須山門に向かって伸びている。

  • 2012年4月3日

    昭和初期の名古屋「堀川 改修前の日置橋」

    堀川に架かる日置橋は、福島正則による堀川開削当時からある、堀川七橋の一つ。江戸時代には桜の名所として名古屋七景のひとつ にあげられている。写真は昭和の名残を残す木橋時代の日置橋。

  • 2012年4月3日

    昭和初期の名古屋「本町通西本願寺別院」

    慶長14年(1609)に清洲越しで名古屋に移転された願証寺が起源。江戸時代に入って本願寺の末寺となり、「名古屋御坊」と称された。 文化14年(1817)に葛飾北斎が境内において、120畳の大きさの紙に達磨絵を描いたことで知られて...

  • 2012年4月3日

    昭和初期の名古屋「本町通橘町一丁目より北を見る」

    江戸時代の初頭、橘町周辺は千本松原と呼ばれるほど松が一面に生茂る、名古屋城下の南端であった。木戸が設けられ、本町通を通って熱田神宮に 参詣する客は、盗賊を恐れ橘町の茶店に荷物を預けたと語られている。本町通の路地を西に入った所にあ...

  • 2012年4月3日

    昭和初期の名古屋「本町通橘町一丁目より南を見る」

    江戸時代の初頭、橘町周辺は千本松原と呼ばれるほど松が一面に生茂る、名古屋城下の南端であった。木戸が設けられ、本町通を通って熱田神宮に 参詣する客は、盗賊を恐れ橘町の茶店に荷物を預けたと語られている。本町通の路地を西に入った所にあ...

  • 2012年4月3日

    昭和初期の名古屋「東本願寺別院」

    真宗大谷派名古屋別院は、元禄3年(1690)に一如上人より開かれた。尾張藩主徳川光友公は織田信長の父信秀の居城「古渡城」の跡地1万坪を寄進し、 本堂などが建造された。明治時代の一時期には、愛知県庁が置かれたこともあり、また境内で...

  • 2012年4月3日

    昭和初期の名古屋「堀川 改修前の古渡橋」

    堀川に架かる古渡橋は、福島正則による堀川開削当時からある、堀川七橋の一つ。写真は昭和の名残を残す木橋時代の古渡橋。