昭和初期
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2012年3月3日
愛知銀行は東海銀行の前身の1つ。現在は三菱東京UFJ銀行が承継している。昭和初期の写真。
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2011年12月5日
昭和天皇の即位を記念して、広小路本町付近の路面電車をまたぐように凱旋門が造られた。
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2011年12月5日
昭和3年(1928)昭和天皇行幸の際、本町通は整備され以後「御幸本町」と呼ばれるようになった。画面右手前に長谷川時計舗その奥に岡谷商会のビルが見える。
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2012年3月30日
江戸時代の寛文9年(1669)に初代岡谷總助宗治が鉄砲町で創業。昭和12年(1937)に株式会社岡谷商店を設立した。
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2012年3月21日
西から東方向に向かう広小路。画面右手前は、村瀬銀行、右中央に名古屋銀行(現三菱東京UFJ銀行)、民家をはさみ 愛国生命ビル。金融関係の店舗が並んでいた。
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2011年12月5日
大正時代も終わり昭和時代に入ると、広小路沿線には銀行やデパートなどが立ち並び西欧風の建物は名古屋市民に近代化の息吹を感じさせた。画面は栄町から納屋橋にいたる広小路通、画面右手前は中央電話局。
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2012年3月21日
市電御園町停車場付近から第一銀行名古屋支店を見る
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2012年3月23日
広小路に面して建つ名古屋観光ホテルは、名古屋に国際級のホテルを造りたいと提唱し、名古屋財界が総力をあげて建てたもの。 昭和九年九月十四日、株式会社名古屋観光ホテルが正式に発足した。取締役社長は青木鎌太郎であった。豊田利三郎、高橋...
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2012年3月23日
支那忠についで、明治二十八年竪三ツ蔵町に木造洋館の名古屋ホテルが建った。このホテルは和室の上等は二円、洋室は五円五十銭であった。中等は和室一円五十銭、洋室四円五十銭だ。昼食代は和食の上等は五十銭、洋食は一円七十五銭であった。
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2012年2月10日
名古屋城築城とともに福島正則によって開削された堀川には、納屋橋をはじめ五条橋、中橋、伝馬橋、 日置橋、古渡橋、尾頭橋(新橋)の七つの橋が架けられ「堀川七橋」と呼ばれた。 明治19年(1886)笹島に名古屋停車場が竣工、明治31年(...