岐阜の窓
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2011年12月10日
1300年の伝統に支えられた「美濃和紙」は、そのしなやかさと温かみあふれる手触りで、さまざまな現代アートに用られています。 美濃市では「美濃和紙」を使った「あかりのアート作品」を全国から募集し、重要伝統的建造物保存地区に指定されて...
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2013年4月12日
鎌倉時代から受け継がれる関鍛冶の技を今に伝える施設。 1階には関を代表する兼元・兼定をはじめとする日本刀や、 その製造工程・歴史に関する様々な資料を展示。 2階にはカスタムナイフ作家のコレクションや関市の刃物文化が 生んだ近現代の...
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2013年1月6日
中山道の宿駅としていつ設置されたかは不明であるが、幕府が中山道を 設置する以前から存在したことは、天正10年(1582)織田信長が武田氏攻略、 慶長5年(1600)徳川秀忠が関ヶ原合戦の際、ここに宿泊していることからも わか...
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2011年12月7日
太田の渡しで木曽川を渡り、可児市内の今渡、中恵土を過ぎ、上恵土まで来て 御嵩町に入る。上恵土の交差点の北西角に中山道と犬山街道追分碑が建てられて いる。追分から100m程いった左手に槍ヶ岳の登山道を開いたことで知られる播隆上人 の...
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2011年12月7日
鬼の首塚の先で中山道は国道21号線と分岐、右に曲がり御嵩宿へと入る。 名鉄御嵩口の駅舎を左に曲がり600m程進みまた右に曲がと、左手に願興寺が見える。 可児大寺とか蟹薬師と呼ばれている願興寺は、弘仁六年(815)、天台宗開祖の ...
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2013年1月16日
うとう峠を下り、国道21号線に合流した中山道を木曽川沿いに進むと、左手の山の岩盤を 削った所に岩屋観音が木曽川を見下ろすように祀られている。 岩屋観音は、近郷近在の村人からはもちろん、中仙道の旅人たちにも厚く信仰されていた。 19...
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2012年6月12日
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2012年12月27日
下街道は名古屋城下と中山道を結ぶ脇街道。 中山道よりも峠が少なく利便性もよかったため多くの旅人の往来があった。 中山宿は下街道十五里二日の行程の中間地点にあったため馬継所、宿場町 として繁栄した。 土岐市美濃陶磁歴...
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2012年12月27日
内津峠を越え池田町に入ると下街道の面影を残した まちなみが続く。土岐川の北岸の市街地を進み 多治見橋を渡り本町オリベストリートへ入り、 この周辺にある多治見国長公遺址や西浦庭園を見る。 国道19号線の北の虎渓山永保寺や多治...
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2011年12月7日
海抜510mの高地に、江戸から四十七番目の宿として、慶長九年(1604)に新たに設けられた。東の大井宿へは三里半、西の細久手宿 には一里半と、美濃十六宿の中で最も高く、それだけに人馬ともに険しい山坂が続く難所に開かれた宿であった。...