制作状況

  • 2012年4月5日

    大正時代の名古屋「名古屋郵便局」

    明治4年(1871)に広小路本町の東南角に名古屋郵便局が開設された。明治20年(1887)に名古屋郵便局の建物は大垣の郵便局として移築される。 名古屋郵便局は、栄町に新しい庁舎を建設し移転する。

  • 2012年4月5日

    大正時代の名古屋「愛知県会議事堂」

    名古屋城三の丸旧竹腰邸、東本願寺別院、南久屋町と県庁とともに移転を繰り返してきた愛知県議事堂は、広小路の延長工事のため、明治33年(1900)に 南武平町に移転され、昭和13年(1938)に中区三の丸の現在地に移転するまで県庁の西...

  • 2012年4月5日

    大正時代の名古屋「広小路と名古屋市役所」

    明治40年(1907)の火災で焼失するまで名古屋市役所は栄町交差点の南西角におかれていた。その後、愛知県庁と広小路をはさんだ西側に新築移転された。現在の中区役所の位置にあたる。

  • 2012年4月5日

    大正時代の名古屋「千種停車場」

    中央線の開通によって千種停車場の設置が決定した。名古屋停車場(笹島)と千種停車場を路面電車で結ぶため、南久屋町の県庁前で 止まっていた広小路を千種駅まで延長する必要に迫られ、明治33年(1900)に旧第一師範学校跡地に県庁の移転が...

  • 2012年4月5日

    大正時代の名古屋「名古屋陸軍地方幼年学校」

    明治29年(1896)に設置された名古屋陸軍地方幼年学校は、大正9年(1920)に名古屋陸軍幼年学校に改称された。 13歳から16歳で入校し3年間の教育が行われた。卒業生は中央幼年学校に進み2年間の教育を受け、卒業後は陸軍士官学校...

  • 2012年4月4日

    大正時代の名古屋「荒子観音寺」

    天平元年(729)に泰澄大師が開基、天平13年(741)に弟子の自性上人が自性上人が堂宇を整えた。 創建当時は現在の北西にある高畑町にあった。多宝塔は名古屋市最古の木造建築物で国の重要文化財に指定されている。 また、遊行僧の円空作...

  • 2012年4月3日

    昭和初期の名古屋「東築地の渡し」

    昭和12年に開催された名古屋汎太平洋平和博覧会により新設された旧港新橋(開き橋)が出来るまでは東築地から名古屋港へと堀川に渡しが運航されていた。写真は渡し便を待つ乗客。

  • 2012年4月3日

    昭和初期の名古屋「熱田神宮鎮皇(ちんこう)門」

    熱田神宮の西門あたりにあったが、戦災で焼失。現在でも5月05日には、神輿渡御神事の神輿(みこし)が、本宮から正参道・南門を経て 鎮皇門跡の西門まで進み、遥かに皇居(京都御所)を望み、皇室の御安泰と国家の隆昌を祈念する祭典が行なわ...

  • 2012年4月3日

    昭和初期の名古屋「堀川 大瀬古橋」

    堀川最南端に架かる橋。橋を熱田側に渡ると、かっては江戸時代から続いた大瀬古の魚市場があった。

  • 2012年4月3日

    昭和初期の名古屋「白鳥貯木場」

    白鳥貯木場は、名古屋城築城のため設けられ、太夫堀と呼ばれる大池に築城用の木材を貯木した。 明治時代初頭に、いったん民間に払い下げられたが、後に国に買い戻された。明治40年(1907)、名古屋港が開港し、外材の輸入も増加し、 ...