制作状況

  • 2012年4月3日

    昭和初期の名古屋「堀川 尾頭橋」

    堀川に架かる尾頭橋は、福島正則による堀川開削当時からある、堀川七橋の一つ。堀川の最南端にあったため台風などで何度も流され 江戸時代に何度も架け替えられたので新橋とも呼ばれた。また、本町通から分岐した佐屋街道もこの橋を通っている。

  • 2012年4月3日

    昭和初期の名古屋「堀川 改修前の古渡橋」

    堀川に架かる古渡橋は、福島正則による堀川開削当時からある、堀川七橋の一つ。写真は昭和の名残を残す木橋時代の古渡橋。

  • 2012年4月3日

    昭和初期の名古屋「東本願寺別院」

    真宗大谷派名古屋別院は、元禄3年(1690)に一如上人より開かれた。尾張藩主徳川光友公は織田信長の父信秀の居城「古渡城」の跡地1万坪を寄進し、 本堂などが建造された。明治時代の一時期には、愛知県庁が置かれたこともあり、また境内で...

  • 2012年4月3日

    昭和初期の名古屋「本町通橘町一丁目より南を見る」

    江戸時代の初頭、橘町周辺は千本松原と呼ばれるほど松が一面に生茂る、名古屋城下の南端であった。木戸が設けられ、本町通を通って熱田神宮に 参詣する客は、盗賊を恐れ橘町の茶店に荷物を預けたと語られている。本町通の路地を西に入った所にあ...

  • 2012年4月3日

    昭和初期の名古屋「本町通橘町一丁目より北を見る」

    江戸時代の初頭、橘町周辺は千本松原と呼ばれるほど松が一面に生茂る、名古屋城下の南端であった。木戸が設けられ、本町通を通って熱田神宮に 参詣する客は、盗賊を恐れ橘町の茶店に荷物を預けたと語られている。本町通の路地を西に入った所にあ...

  • 2012年4月3日

    昭和初期の名古屋「本町通西本願寺別院」

    慶長14年(1609)に清洲越しで名古屋に移転された願証寺が起源。江戸時代に入って本願寺の末寺となり、「名古屋御坊」と称された。 文化14年(1817)に葛飾北斎が境内において、120畳の大きさの紙に達磨絵を描いたことで知られて...

  • 2012年4月3日

    昭和初期の名古屋「堀川 改修前の日置橋」

    堀川に架かる日置橋は、福島正則による堀川開削当時からある、堀川七橋の一つ。江戸時代には桜の名所として名古屋七景のひとつ にあげられている。写真は昭和の名残を残す木橋時代の日置橋。

  • 2012年4月3日

    昭和初期の名古屋「松重閘門」

    昭和5年(1930)、名古屋港と笹島駅を運河で結ぶ目的で行われた中川運河の整備が完了しした。一方、堀川と中川運河の 連絡をはかるため1mの水位差を調整するため松重閘門が造られた。昭和51年(1976)輸送手段だ陸運にかわり使用が...

  • 2012年4月3日

    昭和初期の名古屋「本町通大須交差点より北を見る」

    大正天皇が崩御され、昭和天皇が即位されたのを祝い、昭和3年(1928)年鶴舞公園で御大典奉祝名古屋博覧会が 開催された。翌年の昭和4年(1929)には昭和天皇が名古屋に行幸になると言う事で、本町通の 整備が行われ、行幸にちなん...

  • 2012年4月3日

    昭和初期の名古屋「本町通門前町より北方を見る」

    大正天皇が崩御され、昭和天皇が即位されたのを祝い、昭和3年(1928)年鶴舞公園で御大典奉祝名古屋博覧会が 開催された。翌年の昭和4年(1929)には昭和天皇が名古屋に行幸になると言う事で、本町通の 整備が行われ、行幸にちなんで御...