金山城と兼山湊

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金山城と兼山湊
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天文6年(1537)、斉藤道三の命を受け築城。中井戸の庄の地名を金山村に改めた。永禄8年(1565)、織田信長は東濃攻略の拠点として、森可也を金山城主に任命した。以来、森可成、長可、忠政父子三代の居城となった。元亀元年(1570)、森可成が浅井・朝倉軍との戦いで討死。跡を継いだ森長可は鬼武蔵と呼ばれ、織田信忠(信長嫡男)に属し武田征伐に参加した。本能寺の変で討死した森覧丸は、長可の弟。 天正12年(1584)、森長可は行年27歳で、小牧長久手の戦いで討死。森忠政が三代目金山城主となった。慶長3年(1598)、豊臣秀吉死去。慶長5年(1600)、徳川家康の命で、信州海津城に国替え。金山城は天守、緒櫓等一切をとりこわし 犬山城郭の増築・修復に使われたという。三代忠政は、慶長8年(1603)、美作国に国替えとなり津山城を完成、岡山県津山市の基盤をつくった。