春日寺から南外山
小牧市域に入り大山川を渡り2kmほど進むと右手に外山神社が見える。
大正4年(1915)に外山神社のすぐとなりの畑から銅鐸が発見された。市内から出土した銅鐸は、この1点だけで昭和53年に市指定有形文化財に指定された。外山神社境内には銅鐸出土地の碑が立っている。
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小牧宿と上街道
小牧宿の起源は、織田信長の小牧山城にさかのぼる。永禄6年(1563)に織田信長は、居城を清須から小牧山へ移し、武士だけでなく、清須から商工業者を移住させ、小牧山の南麓は城下町として栄えた。4年後に信長が岐阜へ移ると、この城下町は衰微するが、町の一部が残った。
江戸時代に入り、尾張藩は上街道(木曽街道)の整備に着手した。以前の街道は、清須から小牧山の西を通って犬山を経て、中山道の鵜沼へと続いていたが、新しい街道(上街道)は、小牧山の東を通ることになった。これにともない、尾張藩は、小牧の町を移転させることを小牧村の庄屋 江崎善左衛門に命じた。この移転は、元和9年(1623)に始り、寛永5年(1628) にはほぼ完了し、小牧は街道沿いの宿駅として整備された。
小牧宿は、下町・中町・本町・横町・上之町に分かれていた。また、この街道の東側には東馬場町、西側には西馬場町も形成された。小牧宿は、他の宿場町同様、間口が狭く奥行きの深い町屋形式とよばれる地割りとなっていた。町の南端には木戸があり、木戸を入ったところに高札場があった。
下町の西側には尾張徳川家の別荘・小牧御殿 (後には小牧代官所)があった。岸田家は、御殿の入口の辻から南へ2軒目・3軒目の敷地にあたり、小牧宿の本陣・小牧村の庄屋を代々務めた江崎家の屋敷は、下町と中町の境界付近にあり、間口六間半の大きさであった。中町・本町は商人の家屋が多く、まっすぐ北上すると、戒蔵院に突き当たる。戒蔵院から東が横町で、街道は横町から北へ鍵状に曲がり北上。ここが上之町で、上之町の北端は 街道の片側にしか町並みがなく、後には片町と呼ばれるようになる。 (小牧市HPより引用)
岸田家は、古くは岡島姓を名乗る旧家で、天保年間(1830~44)に岸田七右衛門不磷が、代々小牧宿の本陣・小牧村の庄屋を務めてきた江崎家の養嗣子となり、小牧の名家江崎家と深いつながりを持つようになった。岸田家の屋敷は小牧代官所の東に位置し、脇本陣としての機能も果たしていた。
岸田七右衛門は天保川の開削などに尽力し、岸田家には小牧村の庄屋が江戸時代末期に書き記した古文書が多数残っている。
天明2年(1782年)小牧御殿の一角に代官所が設けられた。尾張藩の御殿は、江戸時代の初期、佐屋、津島、熱田など十四か所に設けられていた。小牧御殿は尾張藩初代徳川義直が寛永2年(1625年)に鷹狩を行った際、江崎善左衛門の屋敷を訪れ、北西に小牧山を望む景観と蟹清水の庭園を気に入り、この地に建設したもので、その後休憩や宿泊に利用された。
天明2年(1782年)尾張藩の財政窮迫に伴う改革の一環として小牧代官所を設けた。地方に十二か所設けた代官所のひとつ。尾張国丹羽郡127村、尾張国春日井郡125村、美濃国可児郡5村を管轄した。
岸田家を北に進むと本陣跡に来る。本陣職は、人工の農業用ため池入鹿池を作った入鹿六人衆の1人、 江崎善左衛門が務めていた。善左衛門はこのほか木津用水(合瀬川)や 新木津用水を完成させた治水、新田開拓の功労者でもある。
本陣跡を過ぎ、左手に上街道・清須街道追分道標を見て枡形に進む。正面にある戒蔵院前には道標が立っている。戒蔵院は、真言宗智山派の寺院。小牧山の南側にあったが、上街道の整備に伴い、街とともに東に移転した。本尊の木造十一面観音菩薩立像は小牧市指定有形文化財となっている。西側にある西源寺は真宗大谷派の寺院で瀬部七箇寺の一つ。
小牧神明社の秋葉祭は、250年近くの伝統をもつ。市指定有形民俗文化財の山車4両を町衆によって町内を引き廻し、小牧神明社に合祀されている秋葉社にからくりを奉納する。江戸時代中頃に、小牧宿のいたる所で火災があったため屋根神様(秋葉様)を祀り、その後山車一両を造成して奉献したのが始まりだと伝えられている。
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味岡から田縣(たがた)神社
枡形から上街道を進み、東名高速道路の高架をくぐり小牧原から藤塚の一里塚経て味岡へ進む。
名鉄小牧線味岡駅の西、新木津用水のほとりにあった料亭「清流亭」は、江戸時代に休憩所として始まった。 敷地内にある藤が有名で、愛知県の天然記念物に指定されている。
旧清流亭から750mほど北西に位置する岩崎山の中腹には熊野神社の本殿が鎮座している。境内にある五枚岩は、風化浸食作用により岩が5枚に分離したもので、県の天然記念物にも指定されている。また岩崎山は、天正12年(1584)の小牧・長久手の戦いの折り、秀吉方が.築いたとされる砦があった場所として知られている。
街道に戻り旧清流亭から700~800m進んだ左手にある田縣(たがた)神社は、延喜式神名帳にある式内社。巨大な男根を厄男達が御輿に担ぐ例大祭は、「天下の珍祭」として 国の内外で有名である。
田縣神社を出て800mほど北上し犬山市に入る。
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