上街道 春日井市

 白山神社 周辺に白山神社・二子山・春日山古墳がある

白山神社 周辺に白山神社・二子山・春日山古墳がある

上街道・木曽街道(名古屋市~中山道太田宿)
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二子山古墳と白山神社

春日井市に入り県道102号の中新町交差点をすぎた所で、上街道は県道と合流して北に進む。
中新町交差点の200mほど東にある二子山公園内にある味美二子山古墳は、春日井市で最大の規模を誇る、盾形の周濠をもった.墳長94mの前方後円墳。昭和11年に国の史跡に指定された。
平成3・4年に公園整備に伴う発掘調査が行われ、現周濠の外側に溝が確認された。溝からは大量の埴輪や須恵器が出土。円筒埴輪をはじめ人物・馬形・家形などの形象埴輪や、高坏・器台・脚付四連坏・子持 蓋付脚付壺などの特殊な形の須恵器が出土している。出土の集中する箇所が墳丘造り出し部分の延長上にあたることから何らかの祭祀が行われたことが推察される。
二子山古墳の築造年代は、出土する埴輪や須恵器などから6世紀前葉(約1500年前)であると考えられる。また、隣接して御旅所古墳(円墳、31m)、 白山神社古墳(前方後円墳、84m)がある。
また公園内に祀られた白山神社は、養老元年(717)泰澄大師が加賀白山を神体山として開山し、白山比咩神社を総本山として、現在全国に二千七百十六社の分霊社を持っている。この白山神社は、万治二年(1659)、元春日井郡味鋺村(現名古屋市北区 楠木町5)白山藪より、この地に遷座し、また二子山古墳にあったといわれる物部神社を合祀して建立された。
上街道の200mほど西側にある春日山古墳は、6世紀中頃のもの。全長74m、後円部径38m、後円部高さ6m、前方部幅50m、前方部高さ4.5m、前方後円墳 埴輪の発見はない。現在は公園として整備されている。


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  • 二子山古墳

    二子山古墳

  • 二子山古墳

    二子山古墳

  • 二子山古墳公園

    二子山古墳公園

  • 白山神社

    白山神社

  • 白山神社本殿

    白山神社本殿

  • 白山神社解説

    白山神社解説

  • 春日山古墳

    春日山古墳

  • 春日山古墳

    春日山古墳

西本町から芭蕉碑(正念寺前)

名古屋第二環状自動車道の高架下をくぐり700mほど進んだ味美駅西交差点の南側に味鋺原新田一里塚があった。
一里塚から1.5kmほど、左手に航空自衛隊小牧基地をみて北上すると、上街道と勝川道の追分に椎樫地蔵が祀られている。
県道と名鉄小牧線の間にある安藤家初代五兵衛は、寛永元年(1624)に如意村(現名古屋市北区)から当地に移り住んだ。以後、一帯の開拓を進めて豪農として栄え、庄屋としての地位を築き上げた。
尾張家第14代藩主徳川慶勝は、参勤交代で中山道を利用する折や犬山城成瀬家に御成りの際、安藤家で御小休をされ御休みの安藤家と称された。
上街道を中町まで進んだ正念寺に芭蕉碑と常夜灯が並んで立っている。句碑には「いざともに 穂麦喰わん 草枕 芭蕉」と刻まれており、芭蕉が貞亨二年(1685)に詠んだ野ざらし紀行の中にある句で、正念寺の近くの農家に一宿した折の吟であると伝えられている。
正念寺から600mほど東の宮町の行者堂は、江戸中期(十八世紀)から、庶民の大和大峯山(おおみねさん) 参りの信者が多く、安永五年(1776)に宮町の名倉藤蔵らが役の行者の尊像を作り、小堂を建てたのが始まり。現本堂は寛政十二年(1800)に 建て直されたものだ。
注:ユネスコの世界遺産に「紀伊山地の霊場と参詣道」の文化的景観を示す主要な構成要素として史跡「大峯山寺」、史跡「大峯奥駈道」ほかが登録されている。

再び街道に戻り、航空自衛隊小牧基地に沿って北上し小牧市へ向かう。


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  • 正念寺前の芭蕉碑

    正念寺前の芭蕉碑

  • 芭蕉碑

    芭蕉碑

  • 解説

    解説

  • 行者堂

    行者堂

  • 行者堂

    行者堂

  • 解説

    解説

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